深まる秋 そろそろ1年の締めくくり 高 野 史 郎
北国では紅葉から初雪情報も聞かれるようになった。コロナに明け暮れた今年も、もう年の瀬が迫ってくる季節になった。房総半島に広がる田んぼは、もうとっくに収穫が終わっているだろう。しばらく見ていない半島の山々の景色も眺めたい。
折から、袖ケ浦の郷土博物館で「ごはんの作り方」という面白いテーマの出し方で企画展をやっているので見学に行った。作物学の実習で縄を張って田植えをしたりしたのも70年近くも昔のこと。
かつては、一人が年間に2俵ぐらいのお米を食べていたのが、いまはその半分になっている。1俵などとといっても、今や全く通用しなくなった。1俵=16貫で60㎏の計算がすぐに出てくる人は、かなり高齢の人だろう。
展示は、春夏秋冬の季節を追っての民間行事が写真やイラストで紹介されている。会場の真ん中には当時の農機具の数々。
今でこそ工場が立ち並ぶ袖ケ浦だが、戦後の食糧難の時代には海岸線を埋め立てて食料増産計画が進む予定だった。海岸線に沿って堤防を築き海水を抜いて順次に田んぼに。干拓計画が国営事業として認可されたのが昭和28年(1953年)だった。干拓地で稲の試験栽培もされたのだが、いつの間にか工場誘致に変更されてしまった。
それ以前を振り返れば、明治時代にも苦労が多かったらしい。明治27年は完全な空梅雨で、2か月も雨が降らず、雨乞いに霊験あらたかといわれる榛名山へ神水を求めて村人が出かけた記録などもある。写真で見る当時の田んぼは、複雑な多角形で、作業効率も悪かったことだろう。水が抜けない湿田でも困る。水争いの訴訟も絶えなかったようだ。
農薬もなかった時代だから、夏には虫送りと呼ばれる行事があったと。ヒノキの枝葉を丸く束ねてお神輿をつくり子どもたちが担いで回る。その上に飾られた鳳凰は、孟宗竹の皮を使ったもので、細身のグライダーのようにかっこいい! 頂いたオヒネリが子どもたちのお小遣いになったそうだ。
帰り道、バスは1時間に1本あるかという状態。駅まで5キロほどを房総の山々を右手に見ながら歩くことにした。スダジイがもこもこと逞しく茂っている。道沿いには、小さな起伏がススキ・オギ・ヨシの住み分けとなって面白い。
ところで、千葉県で開発されたお米の新品種「粒すけ」をご存じ? 県内作付けの6割を占めるコシヒカリは、収穫期の長雨や強風で倒れやすいのが難点。そこで13年もの苦労の末に生まれたのが粒すけ。茎が短くて倒れにくい。程よい粘り気で大粒、もうスーパーなどに出回り始めた。新米の前評判はいいらしい。スマホ片手になどでなく、しみじみと秋を味わってほしい!