あれから7年の三番瀬、柏井の実習林を久しぶりに 高 野 史 郎

3月というと、あの311の地震を思い出す。あの時、ちょうど市川駅から西に向かい、江戸川土手のカワヅザクラの開花状況を確かめようと車で走っていた。電線が大きく揺れていた。一瞬、ビル風のせいかな、と思った。川沿いのマンションからおばあちゃんがヨタヨタと転ぶように出てきて、「揺れるよう!」と通行止めの棒にしがみついていた。

市役所に戻ったら、ロッカーから書類の山が流れ出して大変だったという。すばやく建物から外へ、非難した人もいたらしい。

それから数日間、気がかりな場所を自転車で走り続けた。市川には急斜面の崖地で、そこに巨木が傾いて生えている場所が多い。たとえば、宮久保の白幡神社から三面大黒天のあたり、奉免町の第六天(神明社)の周辺、柏井町の唱行寺などなど。周辺ぎりぎりまで宅地として開発され、崖の下がすぐに民家になっているところもある。

根の部分の土がえぐられ、幹は枝葉と共に日の当たるほうに大きく傾いていて、辛うじて重力に耐えているところが何か所もある。倒れた巨木が道をふさいで、非難の的になっているのではないか?

翌日からは市川北部、そして行徳方面から砂が噴出したと伝えられる浦安市の海岸の方向へと、走り続けた。浦安市の市制施行は昭和564月だったはず。今は元町・中町・新町と3区分されているが、「青べか物語」以降の埋立地が、市の半分以上を占めているといわれる。

埋立地の造成は、海の沖のほうからパイプで砂まじりの濁水を仕切りの中に流れ込むことから始まる。パイプの先端の吐き出し口を少しずつずらしていくので、乾燥するにしたがっていくつもの小山が出来ていく。その一つ一つが粒の大きさ・重さの違いから新しい土の積み重ねとなり、万遍なく一様に海からの砂が平らにつながって新しい地面を作るのではないらしい。不連続ないくつものかたまりが、途切れた記憶のように、別々に動き出すらしいのだ。

野鳥観察舎のある行徳近郊緑地でも、2m以上もの深い溝があちこちにできた。段々畑のように苦労して水の流れを作っていたのに、土手が崩れてそれから先の修復作業に苦労したという。カワウが暮す池に突き出していた上北岬・下北岬の一方は、道が途切れて離れ島になった。風呂田先生(東邦大学)がそこで潜ったら、身長ほどの深さになっていたとのことだった。

しばらく出かけていなかった市川市東浜先の、三番瀬の砂浜はどうなった? あの場所にも春が来て、ブルドーザーで平らにならされた砂浜にも、海浜植物の新芽が伸び始めてきただろうか? 半年以上も砂浜に下りていなかったので2月末に行ってみた。

二俣新町から南に真っ直ぐ伸びる道路が、船橋市との境界線になっているのだが、潮干狩りで有名になった海浜公園の船橋市側の知名度の高さに対して、市川の知名度は低い。市境の延長線が砂浜にもあるのかどうなのか、イマイチはっきりしない。市川市の領域らしい地域の海浜植物群落のことなど、もうすっかり忘れ去られている。海岸沿いの埋め立てや、第二湾岸道路問題、三番瀬円卓会議があった頃から、もう15年ほどが経つのだ。

海を望む護岸の上から眺める砂浜部分は、イネ科の細い葉の植物たちが亜麻色に広がっていた。ヨシ、ススキなどの群落で、市川側にはガマやオギは見られない。

西側の防潮堤沿いの砂浜部分には海水が流れ込んで、ここにはホソバハマアカザなどが分布していた地域である。それらしい枯葉がわずかに残されていた。北風を防ぐ護岸のすぐ下の陽だまりには、ハマダンコンが結構大きく育っていた。そっと引き抜いてみたら、直根が20cmにも伸びていた。

まだまだ冬景色の中で、クロマツが6本ほど突き出している。一番高いものでは160㎝に育っていた。海岸防風林から飛んできたタネからの芽生えか? ここ5年間の成長の記録でもある。

波打ち際沿いに東に向かって歩く。コウボウシバらしきカヤツリグサ科の緑色が、砂の中から少しだけ見える。潮が引いた後に、大きなミズクラゲが打ち上げられていた。直径が20㎝ほどあり、4つの目玉模様が薄紫色に目だっている。はて、クラゲの婚姻色? クラゲの思春期・繁殖方法はどうなっていたのか、調べてみなくては!

気がかりな柏井町2丁目の市民大学実習林へも出かけて見た。市川市が「まちかど回遊レンタサイクル」を廃止してしまってから、すっかり行動が困難になっている。市川の雑木林は、当然ながら市街地からは離れた場所にある。仕方なく、武蔵野線の船橋法典駅からバスで藤原4丁目方面に向かい、越境してパチンコ屋さん横の細い道から現場に入ることにした。

ここは20年以上も前には、ガールスカウトのメンバーたちと炭焼きキャンプをしていた場所。そして花とみどりの市民大学が開講されてからもう10年ぐらいたつはず。一期生から順次に五期生までが実習林として、ボランティアとして応募した人たちが活動し始めた懐かしい場所である。

この地域もまた、20年以上の移り変りが激しい。小さな水溜りのような池があり、トンボが産卵する場所でもあった。冬の季節、枯れ枝そっくりなホソミオツネントンボが、枝にぶら下がるように止まって越冬する。船橋側にパチンコ屋さんが出来て駐車場が広がり、クヌギ、イヌシデ、コナラなどは根元だけを残してアスファルトに舗装された。雨の日の水の流れを確かめていないのだが、そうした関係もあって、水の流れが大幅に変わったのだろう。

駐車場には、これらの落ち葉が堆積している。駐車する場所だけが枯葉を除去されるから、あちこちに枯葉の山が出来ている。風の日にどうなる? あの落ち葉は土に帰ることもできず、やがて清掃車で焼却場に運ばれることになるのだろう。

市の境らしき所には小さな溝や仕切りがあって、それを越えると急に昔からの雑木林の風景に変わってホッとした気分になった。

説明の看板が立っている。「林の土壌回復のために整備活動をしています」。樹木にとってよい森林環境とするために、林の下にも光がさしこむよう心がけています。ミミズやヤスデなどの生きものがたくさんいるフカフカした土にしていくためです・・・などと書かれていた。

2012年から調査を始めたと書かれているから、もうそれが8年間も続けられているらしいのに気がついた。ご苦労さまなコトです。なんやら、聞いたことのある人たちの名前が記されている。急に気分が明るくなってくる。あまり大勢の人が踏み込んでしまっては困るが、こうした活動をしていることをもっと知ってほしいし、林の中の散策を楽しみにしてくれる人が増えて欲しいと思うことしきり!

順に実習地をまわる。それ以前の、2030年前の風景を思い出す。それぞれの活動グループの性格が現れるのか、看板のアピールの表現方法が違うのも面白い。大風で倒れたオオシマザクラの大木は、かなり枯れこんできたが、枝先は元気そうだから4月になったら改めてお花見にこよう!

畑の奥の五期生の実習林は、船橋法典高のすぐ西隣の場所にある。太いニセアカシヤの幹模様が目についた。下枝は取り払われているから白い花を見るためには、かなり見上げることになるだろう。

この植物、戦後は荒れた林をすばやく緑化してくれる救世主のように宣伝された時代があった。マメ科で葉は蛋白質も多く家畜の飼料になる。幹は燃料に、花はミツバチの蜜源にと。

堀之内の貝塚公園の奥にも、このニセアカシヤがジャングル状態に茂っていたのだが、この時代の名残だったのだろうか? ところが茂りすぎると、砂漠の救世主としてもてはやされたクズと同様に、嫌われる運命をたどることになるらしい。

林の下で、ニワトコが新芽を伸ばし始めていた。その手前の曲がり角、みんなが植えたツバキの苗も大きく立派になって花を咲かせていた。ここにせっかくテーブルや切り株のイスを並べたのだから、楽しんでくれる人が増えて欲しいのに!



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by midori-kai | 2018-03-21 20:55
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市川市の山林所有者が集まり、自然景観【里山緑地】を守る会です。地球温暖化や樹林地とのつながりを考えています。


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