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ニコルさんのこと、三浦雄一郎さんの講演から    高 野 史 郎

           ―― 江戸川を守る会50周年、市川市市制施行80周年記念行事 ――
この秋、二つの記念行事が市川市文化会館で開催されました。一つは、「江戸川を守る会」の設立50周年の行事が10月25日に、式典に続きC.W.ニコルさんの「森と海をつなぐもの」の記念講演。そして、11月2日には、市制施行80周年記念で三浦雄一郎さんの「80歳エベレスト登頂 ― 夢を追い続ける心」の講演です。
示唆に富んだ楽しく貴重なお話だったのですが、参加されなかった方も多いと思われますので、概略紹介させていただきましょう。

 ニコルさんは、1940年(昭和15年)イギリスの南ウェールズ生まれ、17歳でカナダに渡り、カナダの北極生物研究所の技官として海洋哺乳類の調査研究、これが自然とのかかわりの始まりのようです。この頃、イヌイットの人たちともいっしょに暮らすこともあって、川でサケを捕るクマの話などは、後の小説の題材としてもしばしば登場してきます。
その後、エチオピア帝国政府の野生生物保護省やカナダ水産調査局、また、環境問題緊急対策官として、石油の流出事故などの処理も担当されました。
14歳の時に柔道を始め、来日したのは空手修行のためですが、少年の頃に竜安寺の写真を見て感激し、日本人の自然に対する美意識に、深い想いを寄せるキッカケになったようです。
「ウェールズには、スミレが3種類しか生えてないのに、日本にはたくさんのスミレがある。東京郊外の雑木林で、子どもにこれ何の木?と聞くと、学者でもないのにみんな木のことを知っているのに驚いた。夏の林ですごくうるさい鳴き声がする。子どもに聞いたらセミだという。いつも辞書を持っているからすぐに調べた。セミはアメリカ文学にも登場するから名前は知っていたけれど、鳥なのか、カエルの仲間なのか、考えたこともなかった」。
「日本の田舎の民宿に行ったら、囲炉裏にイワナやヤマメの塩焼きが串に刺してある。ぼくらが子どもの頃は、イギリスではサケ等は貴族の魚だったから、この民宿の親父さんは、貴族の生まれか、密漁したのかと不審に思った」。日本の豊かな自然に、深い憧れを持っていたようです。
「人間は、3歳の時に心の窓が開く。その頃にいろんな生きものに出会っていないとダメになる。自然の中には、きれいなもの、強いもの、ちょっと怖いもの、大きいものとすごく小さいもの、いろいろある。そういうものにたくさん出会っていないといけない。12歳になると、また次の窓が開く。大人の準備が始まる」。などとも。ニコルさんの本は、中央図書館の英米文学のコーナーなどにも蔵書がありますので、ぜひ一読を。1980年に長野県黒姫に居を定め、95年に日本国籍を取得。
日本人ほど自然に親しんでいる文明人は世界にいない、と口にしていたニコルさんですが、「この40年間に日本の美意識はおかしくなった。京都の美しい建築のすぐ横に、うるさいパチンコ屋を建てる神経が信じられない!」ともおっしゃっています。
“~森と海をつなぐもの~”では、黒姫での里山の話から、カナダの森林伐採そしてサケ漁の映像などを見せてくれました。産卵のためにサケが川を上る。産卵が終わるとサケは死んでしまう。そのあとには無数のウジがわく。お米をばら撒いたようにあたりは白くなる。そこへいろんな動物がやってくる。サケが地域の生態系を、そして人々の暮らしをつなげている。
1時間という短い時間でしたが、子どもたちの未来に自然環境への思いを語り続けていきたいと、熱いまなざしでの熱弁でした。「お話しを聞いていて、うれしくなって涙が出てきちゃった!」という女性もいました。

江戸川を守る会の最初の会長は、市川学園の古賀米吉先生です。会誌「江戸川」の第1号は、昭和39年11月の発行です。その中での古賀先生の発言は、当時の川のひどい汚れを憂いで、かなり厳しいものです。「東京の川という川は、おおむね死にました。川の死相を見たい人は、隅田川の岸に立つとよろしい。その色、そのにおい、その動き。・・・それは東京都の人々が川に対して無情残酷な仕打ちをしたからです」。
(昭和30年代の私は、隅田川沿いの家で暮らして通学していました。夏の暑い日の夕立のあとなど、あたりの街には硫黄のにおいがたちこめ、部屋の中の金属類まではさびてしまった。川の水は真っ黒でした)。

プロスキーヤーとして著名な三浦雄一郎さんは、2013年にエベレスト世界最高齢登頂記録を、80歳で3度目として達成。後期高齢者とは、とてもとても信じられないくらいお元気です。何度も骨折し、手術して、リハビリもされたとは知りませんでした。
体力が落ちてくるのを痛感して、足に1kgずつ、腰に5kgのウエイトをつけてリハビリ山登り。栄養補給のために、毎日サケの頭からシッポまでの骨を取り寄せ、野菜といっしょに煮て食べたとか。
ニコルさんと同様に、きっちり1時間を原稿ナシに、よどみなく情熱的に未来を語ったのが印象的でした。(うろ覚えではもったいないので、いずれ録音テープを取り寄せ、じっくりと内容をかみ締めたいと思っています)。

環境問題の難しさは、目に見えるような形ですぐに結果がでないこと。行政でも学校でも、会計年度は4月に始まり3月で終わる。その1年間に明確な数値目標が示され、達成率という結果を期待している。数字は確かで、客観的なものという不思議な信仰が、世の中にはあるようなのです。
つい先日、群馬県の山奥での森林整備の作業をちょっとだけお手伝いしてきました。このあたりは関東の水がめ。8つほどのダムがあります。ダムを作るために掘った残土は、20トントラックで何千台とかの莫大な量になるのだとか。
それまでに茂っていた見事なブナ林は、伐採されて谷底に。栄養に富んだ表土も谷底に埋められてしまった。そこに肥料木としてハンノキなどが植えられる。肥料木は葉を茂らせ、秋になると落葉し、何十年かかかって少しずつ腐葉土を生み出し土を肥やす。
これから先、さらに何十年かの後にブナなどの苗木が植えられ、それが茂ってかつての美林が再現されるのは、もう誰も見届けることができない100年も先のことです。
お二人の話しを聞きながら、日本列島の林・自然環境と、若い人たちへの技術・文化の伝承とを重ね合わせて考えてしまいました。
野生動物の中にはヒトぐらい年数がかかって、やっと1人前になる動物はいません。ヒトはいろんな可能性を持ちながら生まれ、周囲の人々の世話になり、20年30年かかってやっと1人前になれる。
シュタイナーは、人間の成長過程と自然とのかかわりを、胎児の時代の鉱物期、7歳ぐらいまでの植物期(五感を使って自然を感じ育っていく)、14歳ぐらいまでの動物期(芸術的なアプローチをはぐくみたい)、そして自我に目覚める人間期、などと区分しています。
どうも近頃、そうした精神構造の熟成の期間が脱落していくのを感じてしまうのですが、あなたのお考えはいかが?

by midori-kai | 2014-11-17 20:02
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市川市の山林所有者が集まり、自然景観【里山緑地】を守る会です。地球温暖化や樹林地とのつながりを考えています。


by midori-kai
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