2月5日に、珍しくも雪が降って少し積もった。15日には、春一番とかで、21℃にも気温が上がった。その後しばらくは気温の乱上下。春はいつもこうなのか? でも動植物たちは、そうした些細な気温に迷わされることなく、日照時間を指標に的確に春の訪れを感じ取っているという。
道端で雪に埋もれていたノボロギクやヘラ オオバコが数日後には元気を取り戻した。早春から咲いていたロウバイはもう色があせてきた。ホトケノザも元気元気。短めに花茎を伸ばして咲いていたタンポポは、セイヨウかと思って総苞を確かめたら、アイノコだった。ウメの花に続いて、サクラの花芽が膨らんできた。春らんまんがまじかに迫ってきている。
行徳のあいねすと=野鳥観察舎の中村麻衣さんからの情報では、15日にカワヅザクラが咲き始め2月25日現在で満開とのこと。今年の梨の状況はどうなのだろう? 花粉の状況はいつになく厳しい。去年みたいに真夏の酷暑と乾燥で、また新高などがヤケド状態にならなければいいのだが。
原稿の3月の予定では、日本の植物学の始まりとしての本草学の歴史に触れようかと思っていた。今まで一度も本草学の歴史について話題にしてこなかったことが悔やまれるのだ。3年ほど続いたコロナ禍に翻弄されて、人々の自然への関心が信じられないほどに停滞し、無造作に木が切られるのが何ともつらい。
どんなに科学が発達しようと、ニンゲンは未だに緑の植物のように有機物は作れないんだし、血液さえも輸血に頼らなければ人を救えない。すべての動物の食糧を支え続けてきたのは、《生産者》としての植物であることを身にしみて感じてほしい。
泰平が続いた江戸時代、多くの本草学者が生まれ育った。小野蘭山の「本草綱目啓蒙」は、かのシーボルトを日本のリンネかと感嘆の声を上げさせたという。諸外国が国家的な支援があっての自然探求だったのに、日本は鎖国状態のさなかで、私財を投じての研究が続けられてきたことを、もっと多くの人に知ってほしいと願う。
2月の12日、生態学の大先輩、奥田重俊先生を招いて全日警ホールで「市川市の植物と植生、野外植物とのつき合い方」のテーマで貴重な講演をお聞きすることができた。何ともありがたい企画で、奥田先生はどうやらキリ子さんこと小黒久美子さんの恩師であったらしい。
日本では見慣れない木を見つけると、「これ何という木?」の質問が出てくる。種名にこだわるのだが、スマホで種名だけはすぐにわかる時代になったものの、そこからさらに深入りして現場で詳細な情報をメモったり、図鑑で調べることにはつながらない傾向が見られる。なんとも残念でもったいない。
できれば図書館などで、もっと深く自力で確かめる習慣を身につけ、自分で植生の断面図を描いたりしながら、林全体の成り立ちを確かめる作業を積み重ねてほしいのだが。
この講演の記録は、森の交流会の人たちによって既に報告されているし、目黒の自然教育園とのかかわりなどに触れると、恐ろしく長いものになってしまう。ここでは先生のお話に関連して、いくつかの過去の事例を紹介させていただくのにとどめようと思う。
講演が終わってから、「久しぶりの授業みたいなもので、ちょっと戸惑ったよ」というのが奥田先生の感想だったが、これをキッカケに地元の林を新しい視点で眺め歩き、広く市民にアピ―リし続けてほしい。
記憶は半世紀も前の大阪万博の頃にさかのぼるのだが、国際生態学会かの活動の一環で、ヨーロッパから何と50人ほどの植生の専門家が来日し、南から北への日本列島縦断植生調査の視察旅行が実施されたことがあった。委員長は沼田眞先生(千葉大)、実行委員長は横浜国大の宮脇昭先生という豪華な顔ぶれである。
後援は読売新聞社で、随行した記録が築地書館からも出されているが、当時の日本列島は高度成長期の真っ只中、公害問題も起こっていた時期とも重なる。おそらくはドイツ語と英語と日本語が入り交り、記者の方々も聞きなれない専門用語に相当苦労したらしい。
地中海周辺の硬葉樹林は、冬に多雨の気候条件で、コルクガシやオリーブ、ゲッケイジュなどで代表される。それだけに十和田湖周辺の奥入瀬渓谷には、全く知らない植物たちの景観に、途方にくれたという記録も残されている。この時期に、当時の環境庁が「みどりの国勢調査」を発表している。尾瀬沼を丸ごと水力発電も兼ねた巨大ダムにしようという動きもあった。
宮脇昭先生の身近な業績としては、浦安市の「小さな実・ドングリから森を作ろう」がお勧めの場所となる。ご 存じのように浦安市は3.11の被災で砂の液状化による吹き出しで大変な被害を受けた。 そこで震災で出たガレキや噴き出した砂を使い、海側に「浦安絆の森」をつくり、まちを守る活動を2011年から開始したわけです。
この全体計画を進めたのが宮脇先生で、場所は高洲海浜公園の先端区域。新浦安駅からバスで行くことができるからぜひ。新聞記事によれば「市民ら600人で苗木6400本を植樹」とある。現場には当時の写真や説明の看板もあるから、ぜひぜひ!
2011年12月の植樹祭で植栽された樹種は以下の通り。
高木: タブノキ、スダジイ、アラカシ、オオシマザクラ、アカガシ、ウラジロガシなど。
中木: ヤブツバキ、ヤマモモ、カクレミノ、サンゴジュ、モチノキ、ユズリハ、ヤブニッケイなど。
その他に、トベラ、マルバシャリンバイなどの低木、7種類、約140本。
*
市川みどり会のこの原稿の始まりは、2010年の8月にさかのぼる。市川みどり会の長年にわたる大きな課題は、所帯主が亡くなられたときに、相続税問題に必ず突き当たること。
先祖伝来、長年にわたって守り続けてきた樹林地も税務署にとっては何の意味も持たないから、ウワモノは全部伐採され、更地にした状態で課税評価の対象になるらしい。
こうした事情も広く多くの市民に知ってほしい! とにかくわかりやすく楽しい原稿、樹林地のことやら自然のこと 、なんでもいいから緑の大切さをアピールしてほしいというのが、宇佐美会長からの注文だった。
市川大野駅近くの薄暗い飲み屋さんに集まったのは、わんぱくの森の始まりからずっとかかわっていた松戸の深野靖明さん(彼が2002年から始まった松戸の里山講座の1期生だったか?)、パソコン事情に詳しいデザイナーの吉岡薫さんを加えて計4人。
こうして「たかのさんの市川散歩」が始まったのだった。最初の原稿は2010年9月で「みどりの道を散歩しましょうよ」だった。15年近く続けたことになりました。長期にわたりご愛読? 本当にありがとうございました。これが最終回となります!
※みどり会事務局より追記
高野先生による展示会及び散策会のお知らせを添付させていただきます。