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第81回(葉月) 湿地に生える タコノアシ

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 タコノアシ


この植物の名前を知っている方は、かなり多いと思われますが、現地で花の追跡調査された方は? 見るからに変な花で、見ていて飽きない! 花弁がない。咲き始めたころは渦巻みたいに丸まっているのに、やがて傘の骨のように広がり、天を目指して放射状に伸びる!

 花の形が、タコの吸盤に似ているのが和名の由来というけれど、足が細いからタコよりはゲソみたい。

なんで「イカノアシ」にしなかったんだろう?と、ずっと思っています。

 図鑑によって、ユキノシタ科に区分されているものと、ベンケイソウ科にいれられている場合とがある。ベンケイソウ科にしては、多肉質ではないし、蜜腺がない。昆虫は寄って来るのでしょうか?

 市川市での記録では、行徳橋西側の河原と、国府台に分布するとされています。湿地や休耕田などで見られます。

セダム(キリンソウ属sedum)は乾燥に強いし、丈が高くならないから、屋上緑化などにも使われますが、この点でも湿地が好きなタコノアシは、他のベンケイソウ仲間とは生態的に違っています。

 タコノアシは絶滅状態に近い地域もあるのです。これは生育に適した環境が護岸に固められてしまうなどの、つらい状況によるものでしょう。果実は乾燥すると上の部分が裂けて、帽子のように落ちて種子散布を助けるのもユニークです。

イラストのモデルになったタコノアシ、現場から2株の先端を30㎝ほど頂いて持ち帰り、何日もしげしげと眺め続けていました。10日経ってコップから引き上げてビックリ! なんと、葉の付け根から何本も発根していたのです。切り取られたという刺激で植物ホルモンの流れが変わった? コップの中という環境の変化からの、驚異的にすばやい植物の反応です。結果として、挿木したのと同じことに。

気がかりなこともあります。行き止まりになってしまった旧坂川に、不思議な水草が茂りだしたのは、2001年頃だった。いま、フジバカマの里となっている場所のすぐ西側の旧坂川です。県立中央博物館の大場達之先生が、仮の名として「オニタカサブロウ」と命名された草があります。

だいぶたってから、実は観賞用水草として輸入されたらしく、既にミズヒマワリという種名が付けられているのが分かった。水槽で増えすぎたものを捨てて、それが流れ流れて川に行き着き、大繁殖する結果となってしまったらしい。これは後に、国交省の人が何人も胴長を着て川に入り、外来種駆除に大変な苦労されたのでした。

里見公園から江戸川に下る急な階段のところは、花壇から逸出した「ノハカタカラクサ」がびっしりと茂っている。増えすぎた園芸植物の自然環境の中への移動は、絶対にやめて欲しいもの。

 セダムの仲間、海岸の岩場には、タイトゴメなどがあります。外国生まれの種類も多く、ツルマンネングサは、三番瀬のコンクリート護岸の割れ目などにも並んで茂っています。


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by midori-kai | 2017-08-22 07:22

横浜の人工干潟見学、生態系協会の樹木葬現地を見る  高 野 史 郎

7月末の天気の異常さは、ひどいものだった。梅雨なのに雨が降らない。昔の梅雨は、薄暗い曇り空が何日も続き、「粉糠雨」という感じの雨がシトシトと降り続いたはず。

コヌカアメなどという言葉、もう死語になってしまっている。東南アジアから日本に来た人たちは、ザーッと降ってもすぐに青空が出るスコールに慣れているから、雨が降っても小走りに駆け出したりはしないで、ゆったりと濡れながら歩く。日本の梅雨空にビックリしていたっけ。

各地に記録的な集中豪雨をもたらした。気象データーの平均値というのは意外に難しい。西暦年の1位の1の年から30年間の観測値の平均で示すことになっているから、今発表されているのは、1981年から2010年までの30年間の平均値となっている。昨今のような局所的な集中豪雨が頻発すると、今までの常識が成り立たなくなってきているのかも。時間雨量が30㎜という堤防の基準は、各地で頻繁に突破している。

かつての山男たちは、ラジオで風向や気圧のデーターを聴きながら、自分で天気図を書き込んで作り、その日の行動予定をたてる参考にしていた。今は誰でも、日本列島の上空を移動する気象状況を、一目瞭然にわかってしまう便利な時代になった。手間隙かけるのは面倒なようでも、からだ全体で理解し、その先の行動へとつなげられるのだと思うけれどいかが?

普通の大きさのプランターには、土が15リットルほど入る。腐葉土などが適度に入っていれば、土の隙間が40%ぐらいあるだろうか。すると、ゆっくりと徐々に水がしみこんでいけば、1リットルの牛乳パックで6つ分の水がしみこむ計算になる。林へ行ったら、落ちている棒切れで、どのくらいの深さまで土の中に入っていくか確かめてみよう。フワフワの樹林地が、緑のダムといわれるわけを現場で考えていきたいもの。

《 横浜の人工干潟見学と「べいくりん号」乗船 》

この7月も各地でたくさんの環境関連の行事があった。7月24日に実施された「東京湾の人工干潟見学」にバスで出かけた。千葉県の今年度環境講座が15ほど計画されているうちの一つで、「環境パートナーシップちば」が実施している。

干潟というと、市川では東浜先の三番瀬をすぐに連想してしまう。3.11ではここでも大量の砂が海に動いた。それ以降の、海辺の生きものたちの復活を気にし続けている。ここが、市川では殆ど唯一の海浜植物の群落地だったのです。

千葉では木更津沖の盤洲(ばんず)干潟が有名だし、稲毛の浜というのもある。横浜の港湾施設に、国交省が作った「潮彩の渚」がどんな状況なのか、気になるじゃありませんか!

地震に強い港湾施設で、海の生き物たちと共存できる構造を作り、今後の護岸の補修などにも活かしていく実験施設というのです。目の前には東京湾の広がりが見渡せるような、かなり広い面積を夢見ていたのに、コンクリートで囲まれたその場所は、湾の片隅で管理事務所前の、かなり小さいものだった・・・。ちょっと期待はずれ! 

でも、運ばれてきた山砂が今では海の生き物たちのゆりかごとなり、小さなカニやハゼの類などを育て始めている。海の生態系は、こんな小さなところにも息づいていたのでした。

ここでの記録では、メバル、シマイサキ、イシガレイ、カタクチイワシの群れ、マアナゴなどなど。低く3段になった渚の下の段には、アマモも育っているという。海はやっぱり、生き物たちのゆりかごなのを実感です。

引き続きライフジャケットをつけて、海の清掃と流れ出した油の回収にあたる双胴の「べいくりん号」に乗り込み、船長さんたちから説明を受けました。

二つの胴体の間を海水が流れる。浮遊ゴミの多くは水温などが違う潮目に集まる。それをすばやく探知して大型のスキッパーで救い上げる。大きな漂流物は、船員さんがスキッパーに乗り込んで分別したり、多関節クレーンを伸ばして回収するのだそうです。台風通過後には、ゴミの量も激増するという。

3.11の東日本大震災の時には、塩釜港に1か月間も緊急派遣し浮遊ゴミの回収作業にも参加したとのことでした。

いま、世界中の海で陸地から流れ出る大量のゴミが課題になっています。毎年800万トン以上のプラスチックゴミが海へ流失しているという。このペースで進むと、2025年には海の魚3トンに対して、プラスチックゴミが1トン。それが2050年には、サカナよりもプラスチックゴミが上回ってしまうという、恐ろしいデーターも発表されています。

《 茂原の樹木葬現場を訪ねる 》

7月27日には、日本生態系協会が計画実施している樹木葬「森の墓苑」の現地を見学に行ってきました。外房線の茂原駅から車で20分ほどの場所です。樹木葬って、聞いたことはあっても現場を訪ねている人は多くなさそうなので紹介しておきましょう。

武蔵野線の市川大野駅近くの高台のナシ園や雑木林が、次々と切られてしまったのが4年ぐらい前だったか。ここは、大柏小学校の先生や生徒さんたちが自然観察散歩などに使っている地域でした。こどもエコクラブのメンバーのナシのお花見会・ナシ狩り体験にも使わせてもらっていた所です。それが、またたく間にまっ平らに整地され、墓地に早代わりしてしまった!

「花と緑の市民大学」の実習地としていた柏井町の市民キャンプ場近くも、以前には自然公園的な樹林地が計画されているとかの噂が流れていました。あの場所は、鎌ヶ谷市と船橋市とが入り組んでいて、区分けが複雑な事情もあったのでしょう。その後にここも墓地になった。

中山の奥の院近くには、樹木葬をキャッチフレーズにしたお寺もあります。作ったばかりのマップを使っての散策会の時に寄ってみて、あまりの殺風景さに、参加者からブーイングが出た! 

4mほどの木の下に、蜂の巣状に丸い蓋が何十も並んでいる。ここに骨壷をはめ込むらしい。もう少しはのどかなところかと思っていたのに、というわけです。市街地の真ん中には、広い自然の中での安らかな眠りなど、しょせんは無理な注文ということなのでしょう。

そんな状況の中での、生態系協会が50年先には自然の森に戻そうという構想での樹木葬です。場所は、房総丘陵の土砂採取場跡地。茂原駅からは市街地を抜けて、静かな山の中です。アクアラインが工事中の頃だったか、山砂を積んだ大型ダンプが、ひっきりなしに砂ぼこりを立てて走っていた頃を思い出す!

協会がこの樹木葬を計画した背景には、無秩序に進む墓地開発に歯止めをかけ、やがてはもとあった形の自然の森に返したいという思いがあったからのようです。人口減少が続いている日本でも、お墓の需要は当分続くらしい。それに昨今は先祖代々のお墓ではなく、個人のお墓の要望も多くなっている。

市川で、自然葬についての講演会が開かれたこともありました。夏目漱石さんなども、お墓が増えすぎることを憂慮されていたのだそうです。葬送の自由を進める会などの組織もあります。

いわゆる墓埋法(墓地・埋葬等に関する法律)から、節度を持って行われる限りは問題ではないという見解を引き出し、海からの散骨がはじめて実施されたのが1991年10月といわれています。

この場合は、遺骨を2㎜以下に粉砕し、海に投げる花束もラッピングなどはしないことになっているらしい。喪服などは着ないで、さりげなく振る舞い、周辺からの誤解を招かないように心がけているという。

「森の墓苑」を開設するに当たっての法律解釈とか、近隣の人たちへの趣旨説明にも苦労されたようです。自然保護関連の協会が、こうした事業をすること自体が初めてのケースだったのです。

現地は、雑木林に囲まれたゆるやかな斜面でした。墓地には既に契約した人もいて、地際に小さな木の札がそれを示しているけれど、石碑はありません。1×1.5mが基本的な区画で、いくつかおきに高木植栽地が指示してある。

高木としてリストアップされているのは、ヤマザクラ、コナラ、ネムノキなどです。低木のリストには、ヤブムラサキ、コバノガマズミなどが選ばれていました。いずれも周辺の樹木からタネを取り、ポットで育てられています。

30年たった頃からは徐々に通路などの草刈作業を控え、50年後には元の林に戻るという遠大な構想です。日本では、昔から山全体をご神体と考える伝統もあったという。本当は、お墓の中には誰もいなくて、やがては「千の風になって」遥かかなたから、世の移り変りを眺めているという気分になってきますね?!

茂原の近くには、国の重要文化財になっている笠森観音があります。岩の上に60本もの柱で支えられた四方懸造という珍しい構造の建物です。

もう30年ぐらい前になるか、県民観察会の企画運営のお手伝いを担当していたので、笠森は何回も通ったところでした。房総の山々は、標高のわりに険しい。細い尾根道の両側は、見下ろすと千尋の谷という地形が続いています。



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by midori-kai | 2017-08-22 07:18
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市川市の山林所有者が集まり、自然景観【里山緑地】を守る会です。地球温暖化や樹林地とのつながりを考えています。


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