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第68回 7月(文月) 自然とのコラボ・森に響く二胡と草笛と   高 野 史 郎

数日前から、日本列島の上にすっぽりと重なった不連続線を眺め、空を仰ぎ、一喜一憂していた。もうずっと前から6月25日に、わんぱくの森で開催する「森の音楽会」の準備が進んでいた。
万一雨が降ったら、大町小の体育館を借りることになっていたものの、だだっ広い体育館では音が反響して、せっかくの演奏も台無しだ。神様・仏様、誰でもいいからこのひと時を、雨を降らさないでいてほしい。
朝のうち、ちょっと諦めかけて体育館での演奏の準備をし始めたが、11時ごろ、わずかに明るくなったので森の中で音楽会を開くことに決断したらしい。
シルクロード伝来の「中国二胡」、そして「ちば里山草笛音楽隊」の演奏。それが市川最北部・ナシ街道が東西に伸びる大町の「わんぱくの森」で開かれるのだ。うす曇の見上げる空に、初夏の風が流れる。スギのまっすぐな幹と、しなやかに枝を広げる広葉樹のもろもろ、イヌシデやコナラなどが深緑の葉を広げている。時折、数種類の野鳥の声が森に響く。
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司会をしてくれたのは、NHKラジオ深夜便アンカーで、花と緑のジャ-ナリストとして自然関係の番組なども数多く担当されている須磨佳津江さん。彼女はピーコックブルーのジャンパースカートに白いカーディガンという、さわやかなスタイルと明るい笑顔で登場して会場を盛り上げてくれた。
 「自然っていうのは、楽しいこともたくさんあるけれど、困ったことも起こったりします。スズメバチはきれいな人のところに寄って来るんです。でもハチは人を刺しに来るのではありません。だから手を振って騒いだりしないで、静かに待っていれば、どこかに飛んでいきます」。こうした注意事項も、彼女がうまく参加者に知らせてくれた。
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(画面左側 撮影中の高野さん)
 森の中のあちこちに蚊取り線香は置いたけれど、長袖着用や黒い服は避けるような呼びかけは、あまり徹底していなかったのを、わんぱくの森の大峡さんが気にしていた。
この森へ初めて来る人も多いかもしれない。森の中で走り回りたい子供も多いことだろう。150名ものヘルメットは用意されていない。準備段階での打ち合わせでは、演奏と森の散策会をどう組み合わせるか? 食事や休憩との関係なども課題の一つだった。
1時ごろから、自転車で、バスで、参加者が小学校裏の森へ集まってきた。1時半、音楽会の始まり。舞台は丸太の上に合板を載せた特設ステージである。
第1部は梁天任(Tian Ren Liang)さんの二胡で始まった。「賽馬・旅愁・荒城の月・・・」など。二胡の演奏は公民館のグループ活動などで、何回も聞いていたけれど、こんなに素敵な音色だったとは、衝撃であった! わずか2本の弦が、無限の広がりを見せて森の中に響きわたる。張ってあるのは、ニシキヘビの皮なのだそうだ。
第2部は、草笛演奏。「浜千鳥・夏の思い出・手のひらを太陽に・・・」など。草笛の吹き方の公開練習?では、須磨さんや、みどり会会長の宇佐美さんなども舞台にあがって、ツツジの葉などをくわえ、しきりに息を吹き込んでいた。
休憩を挟んで第3部は、再び二胡の演奏。「浜辺の歌・雪の降るまちを・古城・・・」、など。中国の人は、演歌などの日本の曲を自分の国の楽曲と思い込んでいる人もいるという。半音を避けた音階や二胡の構造などについても、梁さんの実演つきで、流暢な日本語で解説されるのを、会場の皆さん、しきりにうなずいていた。「また君に恋している」って、どうして恋が「また」なんでしょうという、梁さんの投げかけに、みんが笑う一幕もあった。
明治5年(1872年)に当時の文部省が学校制度をスタートさせた時、日本の音楽教育をどうするか途方にくれたらしい。幕末の頃、士農工商という身分制度にほぼ従って、能楽・箏曲・三味線・民謡がタテ割り的に定着していた。小学校で三味線の練習はおかしい、学校で民謡はおかしいだろうと途方にくれたらしい。
全部の小学校にオルガンを設置するよう計画したものの、楽譜を読める先生もいなかった。何をどう教えたらいいものか、基本方針を決めかねて「当分之ヲ欠ク」ということに落ちついたという歴史がある。読み書きそろばんの実学の普及を急がれた文明開化の明治時代に、音楽は「遊芸」と評価されていたようだ。
(外国旅行した時、集まっている外人さんたちに日本の歌を歌ってといわれたら、適度にお酒が回っているあなたが、自信を持って歌える曲はいったいナニ?)
定刻をちょっと過ぎた3時40分、須磨さんのスマートな司会で進行した「森の音楽会」は、多くの感動を参加者に伝えてお開きとなった。彼女は「晴れ女」だそうで、行く先々に青空をもたらすという噂を、あとになって聞いた。
(もし、途中で雨が降り出したら、濡れてしまったら一大事の二胡をどうする? 大勢の参加者をどう体育館に移動できる? ずっと気をもんでいたが、本当によかった)。
お集まりいただいた人数は約180名、スタッフを含めると220人だったという。主催した市川みどり会の皆さん、わんぱくの森の皆さん、数々の進行準備、ご苦労様でした。
演奏してくださった、梁天任さん、草笛音楽隊の皆さん、ありがとうございました。司会の須磨さんは、前日からの仕事続きで徹夜状態だったらしい。お疲れさまでした。

空模様を気にしながら、準備の時間帯に森の中や、小学校のグラウンドなどを久しぶりに見て回った。わんぱくへの入り口あたりの雑草群落は、オオバコ、スズメノカタビラ、シロツメクサなどが見事に住み分けしている、森への入り口あたりの石垣にはイノデなどのシダ植物も。いつかゆっくり分布を調べてみたい。
校門前の子どもたちのわんぱく農園には、収穫前のジャガイモが草の中に取り残されているのが気になった。農園なのに、ブタクサやメマツヨイグサなどがかなり茂っている。今は先生も、子供たちも忙しすぎるのかな?
小3の男の子が、「カエルがいるから、見にいこう」と手を引っ張る。グラウンドの隅、下水蓋の鉄の隙間の下に、体長10㎝ほどのアズマヒキガエルが動いていた。どこかへ通じる秘密の水路があるのだろうかと気がかり。
みんなが集まった森の中の広場も、かなり固まった地面になった。モグラやミミズさんが、きっと以前のようなフワフワ土に戻してくれることだろう。
ところで、森の中に作った特設ステージは、今後どう活用されるのだろう? 江戸川の向こう側、行徳地域の人は、おそらくこの森のことを全く知らないだろう。どう、これから先につなげたらいい?!

6月は環境月間でもあったので、各地でいろんな行事が開かれた。そのうちのいくつかを、手短かにご紹介しよう。
6月5日、ニッケコルトンプラザで「いちかわ環境フェア」。この日は朝のうちに雨が降って、気をもんだがやがて晴れ渡った。私はこども環境クラブのテントで、呼び込みのお手伝いなどをしながら、あちこちを気ままに眺め歩いた。顔見知りのご常連との再会も多数。
コルトンプラザは、たまたま通りかかった通行人も多かったが、こういう人への広がりも期待したいもの。市民グループの人たちも相当に高齢化している。若々しい笑顔と、気軽に寄ってきたくなるムードが、もっともっとほしい。
この翌週には、船橋の環境フェアが船橋中央公民館であった。もう20年ぐらい各地の行事に顔を出しているが、市によって何から何まで全部違う。もっと、しなやかにつながっていけばいいのに。
6月12日、大洲防災公園で市川の「こどもエコクラブ」の発足式。イオングループが30人も子ども達を連れてきて参加。表彰式のあとは、ネイチャーゲームでみんなと遊んだ。
いま、子どもたちの自然参加が激減している。小学校5年生になると親離れが始まる。部活と塾が忙しい。環境系市民グループは軒並み高齢化している。その間をつなげる何十年間かが、いつまでたっても埋まらないつらい現状が続いている。
6月22日、「美(うま)し国づくり景観大賞・特別賞」の表彰式・シンポジウムが文京区のホールで開催された。進行は進士五十八先生。昨年度の受賞は江戸川区などでこの延長線上で4月の江戸川区さくら祭りが開かれたわけである。この際の経過報告は、大町会館での浜野先生講演会の時にも話題になった。
今年の受賞は、佐賀県の古い街並み景観と、鎌倉風致保存会創立50周年の記録など。森林を守るための相続税問題も質疑応答で取り上げられた。
鎌倉八幡宮の大イチョウは、平成22年(2010年)3月10日の早朝に倒壊した。その後何回もたずねて切り株からの再生状況を自分なりに経過観察し続けている。参道の段(だん)鬘(かつら)も若返って、サクラの苗木が植えかえられたと聞く。
今はどんな大きさで、植栽の間隔はどれくらい? 人の動きと車道からの視界の広がりは? 枝葉どのくらいの大きさに広がることを想定しているのだろうか? サクラの根は、参道のどこまで伸びていくつもり? 市街地の多い市川の厳しい街路樹状況を気にしながら、鎌倉での景観を参考にして考えていきたい。
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by midori-kai | 2016-07-10 07:53
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市川市の山林所有者が集まり、自然景観【里山緑地】を守る会です。地球温暖化や樹林地とのつながりを考えています。


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