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年末年始、東浜番外地を歩く  高野史郎

年末年始、東浜番外地を歩く  高野史郎
2015年は、日本各地で多様な気候変動に悩まされた年でもありました。観測史上最大の降水量とか、熱帯夜の連続とか。あわただしい生活の中で、次々と忘れ去っていくものの中で、未来につなげていってほしいものは何だろう、と年末になると思い起こすから不思議です。
もう1年近くも行っていなかった市川の三番瀬へ、船橋駅からバスに乗って、どきどきしながら出かけました。ここ15年ほど、市川市唯一の海浜植物群落を、ずっと観察していたのですが、しばらくは気にかけながらも確かめに行かなかった。何が消えて、何が生き残って今も元気なのか、実はかなりはらはらしていたのです。
12月の原稿には、市川北西部の松戸市沿いを散歩した記事を書きました。今回はその正反対の、市川市東南端地域の自然散策です。
写 真:2011年11月、少年野球のグラウンドがあった場所の被災状況
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市川市の三番瀬部分といっても、イメージがわかない方が多いかも。京葉線の二俣新町駅近くから南に延びる約2㎞の直線道路、そのほぼ真ん中に船橋市と市川市との境界線がある。境界線から東側が潮干狩りで知られる「ふなばし三番瀬海浜公園」。その西側部分が東浜1丁目なのだが、東西に伸びるコンクリートの護岸から先は、企業庁の領域だったとかで、境界線から先の砂浜は、いわば市川市の番外地です。
あの3.11の前までは、この砂浜部分に少年野球のグラウンドが二つ並んでいた。その間の南端部分には背丈程のトベラが1株だけあって、そのあたりには、ハマダイコンやハチジョウナが季節の花を咲かせていた。それらが、あの震災の時に全部消えて、そのトベラだけが近くの砂といっしょに、沖のほうへ少し流された。満潮になると海中に没し、干潮になると砂浜に出る位置になった。
トベラは、もちろん枯れて、胸の高さあたりまでビニールや枯れた海藻などがからまっていた。歩幅でかつての位置関係はメモしていたものの、砂浜部分には水準点などはない。地下の砂がどう動いたのか、調べる方法もありません。
2006年に発行された「発見・市川の自然」では、8章で「地球の温暖化と海面上昇」について玉置善正さんが解説し、海面が2m・5m上昇した場合の海域の予想図を掲載しています(112ページ)。いわばハザードマップです。そうした記録も含めて、この地域を、小さいながらもささやかな自然遺産にできないものかと個人的には思い続けていました。
写 真2:2011年11月、枯れたトベラの木
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グラウンド周辺の場所には、岩礁的な岩や多数の杭が露出した。何回か通って、海浜植物の遷移を含めて、その後の移り変りを記録することは続けていました。野鳥については、船橋市の市民グループなどが変化を記録していたようです。震災の数か月後だったか、ブルドーザーが地ならしをして、小さな起伏も全部なくなり、それまでの植物たちも消えた、というわけです。
この地域の海浜植物、ハマヒルガオ、ハチジョウナ、ハマダイコン、ハマニンニク、オカヒジキ、アメリカネナシカズラなど。
少年野球チームが早朝から練習していた頃は、グラウンドの砂ぼこり防止のため、海水をポンプアップしてホースでまいていました。ホソバハマアカザなどが水溜り周辺に増えたのは、そのためだったと思われる。西側の海水が流れ込む小さな水溜りには、今もウシオハナツメクサが小さなかたまりのように茂っていた。
冬枯れの季節だったので、何が生き残っているのか確かめようもない。温かくなった来春に、改めて調査記録することにしよう! これから先どうなる? それを決めるのは、どこの役所なのだろう? 
護岸の前に植えられた防風林としてのクロマツは、今は高さ7mぐらいか。たぶん、同じ大きさの苗を植えたのだろうが、海風が直接あたるところと後ろ側では、幹の太さも高さも違うのが面白い。この地域に、三番瀬の歴史や動植物の解説などは殆どないのも不思議。
クロマツが切れたところは、後ろ側のカイズカイブキなどの植栽も枝先が枯れこんでいるのがわかる。バーベキューの場所は増えたが、寒い冬は人も近寄らないのか。この日であったのは、二人だけだった。
海浜公園入口の潮干狩りの説明看板が、いつのまにか日英中韓の4か国語に変わっていた。ここも外人のお客様が増えたということなのかな? ホンビノスガイはhard shell clam で、中国語では本美之主貝。バカガイ(アオヤギ)は「愚かに蠢く的貝」となっていたのが面白かった! この中国名は、実際に使われているものなのだろうか?
砂浜に、カキの貝殻が今までになく散乱していた。オオバンと思われる野鳥の死体があった。黒い猫が何匹か逃げていった。

お正月といえば松竹梅、まちのスーパーなどにも門松用のマツが並ぶようになる。市川砂州あたりに今も残されたクロマツの林は市川名物だが、果樹園の防風とか門松用に生産されていたとか、起源には諸説あるようだ。クロマツは市川市の木でもあるのだから、何かのきっかけで、そうした記録なども整理確認しておきたいもの。
松竹梅がセットになってお正月を祝うようになったのは、室町時代以後といわれる。松の風格ある枝ぶりや常緑の緑に、昔の人々は神秘的な力を感じていたのだろう。
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ここで気になったのは、この松竹梅の英訳である。ある美術展の広告には「Pine, bamboo and plum」
となっていたけれど、ウメの英名がプラムはおかしい。大きな実のなるブンゴウメは、ウメとアンズの古い時代からの自然雑種であろうといわれている。ウメとアンズは近縁だが、ウメとスモモとでは雑種はできない。
 念のため、本棚から牧野富太郎先生の古い本を引き出して確かめることにした。すごく楽しい記事なのでご紹介させていただこう! 
 昭和23年発行の「趣味の植物誌」。酸性紙だったのか、もう赤茶けて破れそうな紙質の本である。タイトルは「花の魁亜細亜の梅よ不意気なプラムはわしじゃない」
「・・・元来プラムとは何だね。其れは西洋種の李のことだよ。日本の李とよく似たものだが、梅とは違う。学問上は両方とも同じ属だけれども全く別の物だ。・・・梅をプラムというのは、犬を指して猫だと済まし込んでいるのと同じことだ。Dogがニャーオ、ニャーオと啼いたら西洋人は腹を抱えてどっと吹き出すだろう。・・・こんな判りきった誤りを正せないのを見ると英学者も・・・情けない・・・
梅の英語としては天下晴れてのjapanese apricotを用いるべきである。」 (原文は旧漢字旧かな) 
 外国産の動植物をどう自国語に置き換えるかは、許容範囲の問題もあるし意見の分かれるところである。図鑑で動植物名をカナ書きしているのは、漢字名が日本のものと違うものが多いからもその理由となっている。「バンブー」は熱帯性の竹類だが、日本で見られる地下茎で分布を広げるものとは違って、1か所から株立ちする。この仲間を、タケ、ササ、バンブーの3区分する意見もあって難しい。
 この松竹梅の組み合わせは、いけばなの世界でも秘伝に属する扱いを受けていた。何通りもの型が伝承されているが、孟宗竹を立てる場合の扱いに面白い記述がある。普通の材料では先枯れや切りどまりは不祝儀の扱いなのだが、長く太い竹そのままでは、扱いに困ってしまう。そこで上端を切り「これより先は雲の隠れているものとみなす」という解釈が古来伝わっているようだ。
門松やお正月の飾りの、形や伝統的な解釈を感じながら眺め歩くのも楽しい。暑い日が続いた2015年、12月末に九州でアオダイショウが散歩していたとの話題も聞いた。ロウバイやマンサクが、年末から咲き始めたところもあった。2016年は、気候的にも順調に推移してほしいと願うばかりである。
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by midori-kai | 2015-12-31 07:04

第63回 12月(師走) 落ち葉 クスノキ科の樹木

山梨県の西部、早川町。古い学校を改修した宿泊施設からの早朝散歩。群れで飛んでいるのはカラの仲間、遠くでシカの警戒音、サルの鳴き声も。落葉樹の林で見つけた、素敵な形の葉がいろいろ。
チューリップの花みたいな形の葉はダンコウバイ(左の3枚)、枯葉色で枝についたまま冬越しするのは、ヤマコウバシ(右の枝)。
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クスノキ科の樹木は、千葉県にも10種類以上あるが、葉の形・葉脈の流れもいろいろ。常緑樹が多いが、落葉樹もある。そして、深まる秋の中で、色づき方もまた多様性に満ちている。
市川にも多いクスノキは、新しい葉が活動し始める4月末に、去年の葉がほんのりと紅葉しながらバラバラと落ちて世代交代する。
早川町で拾った落ち葉の中に、葛飾八幡宮のクスノキの葉が3枚、まぎれているの、わかるかな?
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by midori-kai | 2015-12-09 12:29

市川の自然散策・北西部を歩く 高 野 史 郎

急に寒くなってイチョウの葉が黄色くなり始めた。サクラの葉はとっくに散っている。近づいて枝先を確かめると、冬芽がしっかりと育っている。もう春の開花を迎える準備が整っている12月となった。
 市役所とかかわるようになったのは15年前、最初の仕事は自然観察のためのガイドマップを作ることだった。6区分にする町の境界をどこにするか、デザインの原案などは岡崎清孝さんが周到に準備されていた。
この20年余りのまちの変貌は著しい。散策コースの曲がり角の目印や、まちの景観を際立てるバックの緑の形が、すっかり変わってしまったところも多い。かつて作られたマップの賞味期間はとっくに過ぎて、過去のものになって久しい。
何十回と歩きまわった市川市内だが、改めて古寺巡礼のような気分で歩き回わり、記録しておこうという気分になってきた。季節を変えながら、市内を20か所ぐらい散歩すると、市内全域のイメージを再認識するきっかけが出てきそうな気分になってくるだろう。
そもそも、この欄に原稿を書くようになった動機は、市川の緑地をもっと楽しく市民に伝えてほしいという、みどり会の宇佐美さんからの依頼であった。5年ぐらい前のことである。
そして、この7月4日に大町会館で開催された濱野先生の講演会を知らせるチラシの原稿、宇佐美さんが最初に考えだした言葉は“市川に緑はいらない?”という、かなり皮肉なキャッチフレーズであった。
さて、どこから始めようか? とりあえずは北のはずれからスタートすることにした。北総線の北国分駅が歩き始めの地点である。
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(北国分駅からスタ-ト)

 地下に潜って見えなくなる北総線、矢切駅から北側の三角形部分は、市川北西部の端で松戸市と接している。外環工事が進行中で、巨大な掘割は、コンクリートで固められ、既に埋め戻された部分もある。あの膨大な土砂の量は、どこかへ一時避難し、そこからまた何十台ものトラックで運ばれてきたのだろう。数年後、掘り返されて日の目を見た埋土種子からの発芽で、どんな植物が茂り始めるのだろう。おそらくは、多様な外来植物の群れであろうか。
 北国分駅から程近いところに、イザナギ神社がある。遠くからも市の記念物とされているハリギリの巨樹が目立つ。指定は昭和54年(1979) 4月24日、樹高は約20m。
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(いちかわの巨樹より 20http://www.city.ichikawa.lg.jp/env02/1521000003.html )
03年には県の委託事業を受けて、10本の巨樹について樹木医さんが健康調査を行い、地下へ空気管10本を埋め込んだり、木炭やモミガラを入れるなどの治療を行った。このハリギリもその一つ。
下枝がないから、葉の状態や花を確かめるためには、野鳥観察のように双眼鏡で見上げることになる。幹を取り囲むように低いフェンスで囲まれて、踏み固められるのを防いでいる。おそらくは信心深い地元の方々が、几帳面に毎日のように掃除しているのだろう。いつ行っても箒の目がすがすがしい。
しかし、なんとも気がかりなのは、金網の内側に大量の落ち葉を積まれていること。ひどいときには30cmも積まれ、ヒヨドリジョウゴやアカメガシワが芽生えていたりする。根が呼吸困難になってしまわないかと気がかり。
北側入り口すぐのタブノキは、枝を間引きするように明るく整えられた。社殿の外側にはサカキが植えられている。かなり太い切り株が何本か見えるのは、何の木だったのだろう。かつては、境内の面積もずっと広く、鬱蒼とした鎮守の森の景観を示していたに違いない。
西に移動して考古博物館に向かう道路沿いには、ポプラかと思うようなケヤキが列植されている。ムサシノケヤキと呼ばれる品種で、横枝が伸びて車の視界をさえぎらないように改良されたものだという。落ち葉を拾って確かめると、ムクノキの葉のように固くざらついていた。いつも気にしているのだが、普通のケヤキのように実のついた小枝が落ちているのが見当たらない。この木の生まれ素性を知りたいものだ。
駅前三差路のところには、五反割公園がある。南側にはブランコなどの遊具があり、砂が敷かれている。北半分は芝生というユニークな公園である。落葉樹のエノキと常緑樹のクスノキが並んで植栽されているのも珍しい。五反割って何のこと? 何十年か前の区画整理の由来があったのだろう。いつも思うのは、親子でいっしょにまちの歴史を語れるような、単純明快な解説が欲しいと思う。これをするのは、どこの役割分担なのだろうか。
このあたり、新しい住宅地もできているが、総武線沿いでは考えられないような緑地が残されているのがうれしい。北国分第4緑地、北国分第2緑地など、市民の人がゆったりと散策して季節を感じてほしいもの。
もう10年ぐらい前のことになるが、この地域の団地自治会から呼ばれたことがある。住民の意見がまとまらないので、話しを聞いてやってほしいとのことだった。
「あの木があるから楽しい」という5階の住人と、「冬に日当たりが悪くなって、フトンが干せなくなるから切ってほしい」という1階の人との対立。近所のナシ畑で薬剤散布するのが心配。そして、「今は科学が進んでいるのだから、悪い虫だけ殺して赤ちゃんには何の害もない薬があるはずだから、それを教えてほしい」などなどの会話が、2時間も続いた!
第4緑地は、ゆるい階段を上ると通路がアスファルトで舗装され、樹林地に踏み込めないようにされた回遊コースになっている。林の中にちょっと入って棒切れを土の中に差し込んだら、20㎝も入ったのに驚いた。土壌微生物が多く、落ち葉の分解が進んでいるのだろう。いつか、大雨の日に出かけて、雨水の吸い込みなどを確かめてみたい。
いまはもう「逍遙」などという言葉は死語になっているけれど、梢の先に覗く高い空を眺めて、緑の風を胸いっぱい吸い込んで、世の邪念を払いたいもの。市街地では考えられないのどかな時間が、ゆったりと過ぎて行く。
少し進んですぐ西側にあるのが、北国分第2緑地である。台地上のナシ園の作業のために、斜面を登るトラクターの道がそのまま上りコースになっている。イヌシデなどの林、低木はアオキなど。上りきったところには、雌雄のシロダモが並んでいる。
1年前に咲いた雌株の花がこの冬には赤い実となり、一つの枝で今年の花といっしょに見られる。1年分の成長量は20㎝ぐらいか。ヤブツバキも満開。ムラサキシキブの枝の先端は、小さな葉を2枚抱き合わせたような裸芽が特徴で、実がなくてもこの季節にはすぐにわかる。

禅照庵は、台地上の墓地に続いてひっそりとある。ここのラカンマキも市の記念物で、昭和58年11月3日の指定。千葉県の木・イヌマキよりも小型の園芸品種。名の由来は、果実の状態を羅漢の首と胴に見立てたものといわれるのだが、この株は雄株なのでそれを確かめることはできない。ねじれたような幹のうねりがたくましい感じ。だが、根元をきれいに除草してあって、根が日焼けし痛められないかとちょっと気になるところではある。
数年前は、背景になる樹林が、このあたり全体をやさしく包み込んでいたはず。近くの散歩道で見かけるビニールハウスの中は、トマトか、キュウリか? 冬には、石油を燃やして保温しているのだろう。 
農地の隅に皇帝ダリアが背高く伸びて、赤紫の花を咲かせていた。ここ10年ぐらい前から各地で見られるようになったが、典型的な短日植物で、日が短くなって花が咲く習性がある。
霜がおりれば、花が咲く前に枯れてしまう。市原市あたりでも、寒い年は開花前にしぼんでしまうという。気温変動が激しい昨今である。その年の暑さ寒さの指標になるのではと思う。地球温暖化の指標は、ナガサキアゲハやアカスジキンカメムシばかりでなく、身近な動植物の継続的な観察記録を積み重ねて、実感のあるものとしていきたいもの。
外環道路近く、太いスダジイがある場所の横が、いつのまにか空き地になり、国有地の看板が立てられていた。あるいは、所帯主がなくなられて、相続税支払いのために手放したものでは、と暗い気持ちになった。
イチョウ2株が並ぶ愛宕神社を半年振りに眺める。
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(いちかわの巨樹より http://www.city.ichikawa.lg.jp/env02/1521000003.html )
幹の直径も、根元を踏んで通る2本の間の道の幅も1.8m。この2株の記念物指定は昭和58年11月3日で、禅照庵のラカンマキといっしょだった。
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ここから奥の社殿に向か参道に並んでいるのが、胴切りされてなんともうら悲しいクヌギの幹である。
社殿に上る階段横に茂っていたイチョウは、この辺りで唯一の自然樹形を保っていたものだったが、2年前に惨めなくらいに枝を切断されてしまった。秋にはギンナンがたくさん落ちる。この階段あたりで、隣の保育園の子どもたちが楽しく走りまわっていたのだが。
神社の立て札には、「境内では遊ばない。樹木は大切にしましょう」と書いてあった。

1年の締めくくりだから、明るい話を書こうと思っていたのに、見通しが暗くなってしまったようだ。この次には、もっと明るい展望を書きたいもの。
この11月も、いろんなところへ出かけた。行く先々で、市川市との比較が頭をよぎる。22~23日は、県の環境学習の専門家集団20名あまりが、はるばる山梨県の早川町の市民農園体験セミナーへバスで4時間の旅。
急斜面の深い山々に、落葉樹の多様な紅葉が次々と車窓につながって見えて、どきどきのしっぱなし。このプランをまとめてくれたのが、中央博物館で環境学習を進められていた小川かほる先生である。
 早川町の話題は多すぎて、短い文章にまとめようもないほど。この過疎のまちを、ずっとかかわってきたのが、生態計画研究所の小河原孝生さんで、市川市の自然環境保全再生指針でも大変お世話になった人。関心のある方、インターネットで調べて、ぜひ出かけて体験してほしい。日本一小さくて、素敵な山村である。

 11月29日には、国府台の旧血清研究所の赤レンガ見学会があった。200人ぐらいが集まっただろうか。かつての市川は、軍都の歴史が長かった。
ここをいま、平和・芸術文化、そして自然環境をつなげて考える活動拠点にしようという運動が始められようとしている。
すぐ西側には、江戸川の流れがある。斜面林がある。このあたりは市川の多様な自然環境がほんのちょっとだが、まだ残されている地域でもある。こぎれいに整理された自然ではなくて、ナマの市川を一望できる素敵なロケーションのように思われる。
 生態学の語源は Oecologie これはoikos + logos から作られたという。家計の意味もあった。生産(収入)があって消費(支出)がある。植物たちが光合成という名の生産活動をやめてしまえば、消費者としての動物たちは死滅することになる。昔は、エコロジーとエコノミーは同義語だったのだ。 
 この日の午後、皇居東御苑の見学に出かけた。少し早めに行って、大手門周辺をぶらつく。自転車が行く。ランニングの家族が走る。外人客も多い。
街路樹のプラタナスに白いテープが巻かれていた。周辺の街路樹との統一性を保つため、イチョウに変える予定との事だった。東京都の木はイチョウである。
はて、市川市の木は何だっけ? と考え込んでしまった。
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by midori-kai | 2015-12-09 08:57
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市川市の山林所有者が集まり、自然景観【里山緑地】を守る会です。地球温暖化や樹林地とのつながりを考えています。


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