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第85回12月(師走)「きのこワンダーランド」

《イラストの説明》

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千葉県立中央博物館では、12月27日まで「きのこワンダーランド」の展覧会を開催しています。入場料は一般が500円、ただし65歳以上の人は証拠の品を持参すれば無料です。

常設の展示をまだ一度もご覧になっていない方は、1日がかりで是非! 博物館のその先には、生態園もあります。さらにその横には、青葉の森の公園が広がっているという盛りだくさんの地域です。

それにちなんで、だいぶ前に信州へ出かけた時の、キノコのイラストを登場させました。

山へ行ってキノコに出会うと、必ず聞かれるのが「このキノコ、食べられる? それとも毒ですか?」そして子どもたちは、すぐに足で蹴っ飛ばして壊してしまうのが残念無念!

キノコの名前を聞かれたって、よく名前を知らないものが大部分です。食べられるかどうかの区別だけでなくて、生態系の中でのキノコ類の位置づけ、短く楽しい話を身につけたいものだと思い続けています。この世に、キノコ類がなかったら、ゴミの山で大変なことになるんですよ。

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山へ行ってキノコを採ったら、必ず長年そこに暮らしていて、毎年キノコを食べ、しかも今も元気なお年寄りに、選び出して貰いましょうね!

日本列島には、何千種ものキノコが生えています。成長と共に姿かたちが変化して間もなく崩壊する。その下には「シロ」と呼ばれる菌糸の塊がある。

何十年か前には、キノコが植物の一分野とされていましたが、大違いです。もっと、キノコのいろいろを、楽しく調べることにしましょうよ。

キノコの名前は、全国区ではなく、地方区の選挙みたいといった人がいました。地域ごとに呼び名が違い、お料理方法にも地域の文化があるのだそうです。育つ環境によって、形も味も違うらしい。

キノコの世界は、不思議にみちあふれています。



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by midori-kai | 2017-12-21 08:35

2017年が終わる、そしてすぐに新しい年ですよ!  高 野 史 郎


今年の冬の訪れは、例年よりも早い感じですね。ずっと前から、お正月休みの恒例で、市川とその周辺もふくめての市内全域を、幾日もかけて自転車パトロールしていたことがありました。車も少ないし、とにかく青空がきれい。和服姿の神社参りの人たちもいて、すがすがしい気分になりますから。

10年ぐらい前だったか、真間山弘法寺あたりで、まだ真っ赤になったモミジが残っていて、その横の新年飾りとが同居していた風景がありましたっけ。こんな年は、今までに1回だけでした。この時期、川向こうの行徳の神社には、落葉したイチョウの巨樹がたくさん見られます。

二俣新町の南、市川東浜先の三番瀬では、元旦というのにタンカーの出入りが頻繁なのに驚いたことがありました。1分間に1隻以上の割合で、南極探検の「しらせ」が係留してある桟橋近くに、次々と入ってくる。新年休みと無関係に、仕事している人たちも大勢いるのでした。

市川市内で紅葉の名所といえば、誰でもが大町の自然観察園のお山を連想するでしょうね、木道が続いている観察路沿いの、雑木林の多彩なグラデーションにも目を留めて欲しい。

どこかへ、紅葉見物にでかけましたか? 里見公園の北側先端も、本数は少ないけれどモミジがあります。松戸の20世紀の森では、小さな流れ沿いにモミジが茂っている。西日を受けての紅葉の輝きとともに、逆光を受けての幹からの枝分かれの形と、葉脈が血管のように全部見えるのですよ! 房総半島では養老渓谷がすごい、晩秋の景観もたくさんあるのが千葉県なんです。

冬は、雑木林の葉が落ちて、樹林地が明るくなり、未来の風景が目前に広がるような気分になります。日本列島の四季の素晴らしさ、そんなこの国の冬を実感しましょうよ!

1123日、久しぶりに千葉駅の先、県立中央博物館へ行ってきました。ここは何となく、自分にとって、里帰りみたいな気分に浸れる場所なのです。ちょうど文化庁の支援事業として、「きのこワンダーランド」が開催中でしたから。沼田眞先生が苦労された生態園も、しばらく見学に行っていなかった。そろそろ30年にもなるこの房総の林風景の再現も、当時とはずいぶん遷移が進んでいたのを懐かしい気分も含めて、小雨の中を散策したのでした。

博物館の展示会場で、2000年前後には自然保護協会のスタッフと、どう解説したらいいかの勉強会もやったことがあった。環境教育研究科の小川かほる先生の計画で、「ワクワク体験・地球をめぐる水」の展覧会では、夏休みの2か月間、展示解説や水の動きの実験装置など、毎日通っていました。それから三番瀬問題の演習とか、5年間ほどの間に、貴重な体験をたくさんさせてもらった場所だったのです。

博物館周辺の雑木林が、素敵な紅葉なのも胸がときめきました。生態園では、子どもたちも含めての俳句作りなどもやったらしい結果が、現物の樹木の下などに看板で作られていました。

その中のいくつか、「カメムシの双子赤ちゃんにかにか笑顔」「樹木にも老々介護の時代来る」「僕の名は若い葉っぱは白ダモん」などなど。

「これ、なんていう名前なの?」といういつもの質問パターンだけではなく、こういう楽しみ方を大人にも体感して欲しいと思ったのでした。

講堂での講演会「マツタケ栽培最前線」は、3人の専門家の研究成果発表でした。森林総研のマツタケ研究、近畿大学の人工栽培の進行状況、京都での里山再生活動との関連活動。菌糸の伸びる顕微鏡写真などを交えてのかなり高度な解説で、シンが疲れました。試験管やフラスコ内のマツタケ菌糸の行動が、酵素の化学記号やキノコ類の学名と共に登場するのです。まだまだこの先は長い道のりだな、を実感した3時間のお話でした。

24日は、「わんぱくの森 バス研修、先進事例の柏市をたずねる」に参加させてもらいました。最初の目的地は、柏市のこんぶくろ池自然博物公園。ここでの活動は、2011年に日本自然保護協会から第10回の沼田眞賞を受賞されています。このすぐ手前には「さわやかちば県民プラザ」があって、ここに千葉県の環境学習センターもあった関係で、こんぶくろ池にも頻繁に通っていたのでした。

久しぶりに現地を訪れ、まるで浦島太郎状態。20年前とまわりの環境がすっかり変わってしまって、記憶とつなげるのが大変でした。当時はまわりがゴミ捨て場状態の所もあった。今は管理事務所もできた。運営のための管理部門もしっかりされてきたようです。

組織づくりでは、①湧水と湿生環境の保全再生、②樹林地における貴重種を含む生態系の保全と植生管理、③市民活動・環境教育などへの活用、などが順次進められているようです。ご苦労様なことです。

いずれゆっくりと、時間をかけて現地の春の芽吹きの頃に訪れたいと思ったのでした。

早足でユリノキの並木道を急ぎ、次に訪問したのは沼南公民館だった「ひまわりプラザ」先の大島田里山クラブの森でした。一方の耳で活動されている方々のお話を聞きながら、手短かに林の階層構造と全体の見取り図をメモしました。

高木層は、スギ、シラカシ、モウソウチク、イヌシデ。中間の5mから10mぐらいの高さには、ヒノキやイヌシデ。低木層には、ヤツデ、ヒサカキ、アオキ、ヤマブキ、カクレミノなど。ヒイラギやコウヤボウキも少しあった。草本としてはシュンランやジャノヒゲなど。

高い木では、23mはありそうな感じ。市川の柏井地区、みどりの市民大学の実習林では、伐採したもの測ったことがありましたが、最高で18mだったと記憶しています。

低木層の植物が少ないのは、ここの管理方針なのか、もともと少なかったのか? 結果として、市川の里山の状況とは、かなり違った林になっている印象を受けたけれど、参加された皆さんの感想はどうだったのかな?

高く茂っているケヤキが、ちょっと高まっている土手みたいな場所にそびえていました。その土手みたいな高さに沿って、ケヤキの根が横になんと10mも伸びて見えているのにビックリ。太さが直径で10㎝以上もある。チラッと株元の向こう側を覗いてみたら、奥の方にも太い根がとぐろを巻いていた! あのあたり、地盤がよっぽど固いのか? その昔、土塁か何かの構造物があったのだろうかと気がかり。

幹線道路からの目隠し、ヤダケなどの茂みをどう残すか、等など、短時間だったけれど、たくさんの貴重なお話を聞くことができました。

次に移動したのは、手賀沼里山倶楽部の森。ここは、舟戸古墳群の一角で、6・7世紀頃の前方後円墳が大小20もあった場所なのだそうです。柏市や千葉県では希少になったラン類なども多数残っている。なぜか、年ごとに発生する場所が変わっていくとか。面積は約2ha、民有地なので会員が同伴の場合のみ立ち入りが可能なのだそうです。

落ち葉を掃除堆積したところからは、カブトムシが出てくる。イベントの時などには子ども達に蛹をプレゼント。虫は苦手というお母さんには、カブトムシになってから渡す引換券も用意しているそうです。入り口あたりに置いてあったトラックのジュラルミン箱型の荷台は、道具の収納庫に活用されていました。整然と片付けてあるのにもびっくりしました。

ここでの仲間同士の合言葉は、「地球・・?・・パチンコ?」。そのココロはキュウケイ。作業の合間には、みんなでコーヒーを楽しみながらの「休憩」。意見交換と合意形成のために、さりげない雑談の時間を、とても大切にしているとの事でした。

続いて、大津川をきれいにする会の里山活動紹介。手賀沼にそそぐ約8㎞の大津川の浄化に取り組んでいる方々の集まりです。いつも活動しているのは、女性も含めすべて70歳以上で12名前後。最も多い時には、60名が参加されていたとのこと。柏市には、「カシニワ情報バンク登録」という制度があるらしいです。

ここのすごいのは、機関誌の「せせらぎ」を創設以来毎月1日に発行し、一度も欠かしたことがないとか。恐ろしい努力の継続です。

平成29年度の目標には、①利用活動を拡大し、里山全体に親近感を。多世代にわたる人々のみどりの活動を通じて、森、川、田畑を一体とした里山の自然を目指す。②利用が可能な地域の環境・歴史文化資源の保全活動と利用手段の提供。日本的な情緒ある行事の実施。③多世代交流型コミュニティ、みんな集まれ柳の木、といった地域の活動団体と積極的な連携を図り、側面支援。

こうしたたくさんの思いを、おそらくは大変な負担をあまり感じないで確実に実行していることは、驚きです!

今回のバス研修、行く先々に足を運んでスケジュールを調節し、つながりをつけるのが大変だったでしょうね。下見したのは、大峡さん・松戸の深野さんだったのかな。ご苦労さん&ありがとうございました。もっと細かい資料などは、参加された方々が持っているはずです。



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by midori-kai | 2017-12-21 08:24

第84回11月(霜月)深山含笑とホオズキ

秋も深まってくると、モミジがきれい! 晴れた日が続いて、昼と夜の冷え込みの気温差が大きいほうが鮮やかになるという話です。でも、霜が下りればそれで終わりという、はかなさもあるのが秋の淋しさ。

ところで、「深山含笑」ミヤマガンショウという奇妙な名前の植物、聞いたことありますか? 松戸のグループの案内で千葉大園芸学部をたずねた折りに、フランス庭園の片隅に植えてあった木の株元で見つけたのがこのラベルでした。そこにはラテン語の学名と、漢字表記、ミヤマガンショウのカタカナ表記が並んでいた。

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モクレン科のオガタマ属。常緑樹のようで、もう葉腋に3㎝ほどの花芽を並べてつけている。日本ではモクレン科というと、コブシやモクレンをすぐに連想してしまう。

モクレン属では、枝の先端に花芽をつける。その下の葉芽が何本か伸びて新しい枝となる。3月ごろ、葉が展開する前に花を咲かせるのはご存知の通り。山好きな人に好かれるタムシバもこの仲間で、すぐに近縁の何種類かの種名がすらすらと出てくるはず。よく見かけるモクレン科の常緑樹としては、タイサンボクだけです。

この深山含笑の株の近くには、赤紫に紅葉した古い葉と、枯れた木の実の残骸が落ちていました。帰宅してさっそく何種類かの図鑑を調べる。そして市川と船橋の大きな図書館にも足を運びました。やっぱり、漢名のこの植物の記載がないんです。オガタマ属は、世界に35種ほどあるはずなのですが、うが日本に自生していないのですから仕方ありません。

この仲間のカラタネオガタマは、中央図書館横の自転車置き場脇など数か所にも植えてあり、5月中旬に白っぽい小さな花を咲かせます。近づくと甘いバナナの香り。英名はバナナトゥリーなんです。このカラタネオガタマの漢名が「含笑」。中国では、女性が髪飾りに使うとか。

などと聞くと、この「深山含笑」は中国のどんなところに生えていて、どんな花を咲かせるのかが楽しみになりますね!

カラタネオガタマが3mぐらいの低木なのに対して、オガタマノキは高木ですが、市川市のどこに植えてあったか思い出せません。オガタマとは招霊(オキタマ)の訛りで、サカキと同様に神前に供える木として、神社に植えられる習慣が中国にはあるらしい。この深山含笑が、来春にどんな花を咲かせるのか、今から心待ちにしています。

もう一つは、駐車場脇の狭い植え込みに生えていたホオズキです。

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お盆の頃に花屋さんに出回る立派なものとは違って、ツツジや小菊の間にやっと生きていたような株でした。殆ど葉が枯れかかった株で、わずかに残された緑の葉がちょっと神秘的でした。

ホオズキの白い花が咲くのは、7月頃です。その花が間もなく萼の先端を延ばし、つながって子房の部分を取り囲む。宿存萼というらしい。それが秋には朱色に染まる。そして、最後には網目模様が果実の部分を包み込むんです。まるで「籠の鳥」状態です。

この植物、タネの散布方法をどう考えているんだろう、などと不思議な気分になってきます。このイラストでは根が真っ直ぐに下に向かっていますが、たぶんのその下では地下茎が横に伸びているはずです。タネで増やす方法は放棄してしまったのか、それとも、やがては籠の部分も朽ち果てて、何かの動物の食料になるんでしょうか? 深まる秋は、いろんなことを考えさせてくれる季節でもあるのですね。


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by midori-kai | 2017-11-23 20:56

戸定邸の庭園や、かずさDNA研究所へ見学に    高 野 史 郎

9月は2回も大型の台風がやってきました。そして土日のたびに雨が降った。小学校の運動会は、3回も延期になったところもあったようです。でも雲間に見る十五夜の月は、やっぱり感激です。

心配していた11月3日の大洲防災公園での第42回市民まつりは、前夜の雨がやんでくれて、開催する頃には素晴らしい青空が見られて、うれしい開催となりました。

いつものように大変な人出です。出入り口がいくつもあるためか、カウントはしていなかったようですが、どのくらいの数の人が来てくれたのでしょうか? 行列を作っていたのは、きっとおいしい食べ物販売のブースだったのでしょう。苦労して展示物の準備を進めていたグループがこんなにたくさんあるのも、市川市の魅力なのかな?

市川みどり会や里山関連グループ、環境系の市民グループの活動などに触れるチャンスです。

《 戸定邸の庭園を見学 》

10月8日には松戸の市民グループの行事に参加し、丁寧な解説付きで戸定邸の庭を見学させてもらいました。何回となくこのあたりには出かけてはいますが、今回は最初の設計の基本計画に基づいての復元工事が予定されているとかの、特別公開でした。

ここは、徳川昭武の邸宅で1884年建設の木造平屋(一部は二階建て)、明治前期の上流住宅の姿を残しているとかで全国的の貴重なものなのだそうです。松戸市の寄贈された後、2006年にはここの建物が国の重要文化財に、2007年には「日本の歴史公園100選」にも選ばれています。

130年前の頃は、門前にスギやヒノキの並木が続き、当然ながら今よりもずっと静かな雰囲気に満たされた場所だったのでしょう。周辺の駐車場などの用地買収も終わり、ゆったりと食事しながら散策を楽しめるような計画も進んでいるとかで、復元工事の完成が待たれます。

芝生の庭の先に、左側はコウヤマキ、右側には今は2本しかないアオギリが11本あったらしい。そうした緑の枝越しに、遥かかなたの富士山や日光連山が見渡せたとか。屋根の下の雨が落ちるところには溝ができていて、玉砂利を入れてある所なども、昔どおりの寸法に復元するのだそうです。(落ち葉が樋に詰まるのを、経費をかけて、こうして防いでいたのですね)。

きれいに刈り込まれた芝生と由緒ある樹木と共に、サクラも植えてあったらしい。日本花の会に当時の写真を見せたら、ソメイヨシノだったとか。

ソメイヨシノの起源については諸説も多いのですが、ウイルソンが1916年にオオシマザクラとエドヒガンの雑種説を提案した。国立遺伝学研究所の竹中要がその検証実験を行い、その結果を1965年に発表した・・・というあたりが、確かな情報なのだろうと思われますが、今後更なる研究が期待されるということのようです。

ソメイヨシノについては、松戸市の関さんの森で、お母さんの誕生記念に苗を植えたのが1902年なので、今年で115年たっている計算となります。今年も元気で花を咲かせたはず。

小石川植物園には1876年(明治8年)に植えた記録があるので、今年で樹齢141年たっていることになる。弘前公園では1882年(明治15年)に植えたとの説明看板があって、日本最古のソメイヨシノをアピールしているという話です。ここのサクラは、リンゴ栽培の技術を活用して、かなり剪定して積極的に施肥もして、若返りを図っているという独特の栽培方法をとっているとかの話です。

巨樹を案内すると、必ず聞かれるのが「樹齢」なのですが、動物の寿命と植物の場合ではまったく意味が違います。巨樹になって、中心部分はとっくに死んで空洞ができていても、樹皮が元気なれば生き続けられるのが、動物とは違ってたくましい植物の生きざまというものなのでしょうから。

それにつけても、市街地の過酷な条件で生き続けている街路樹に、もう少しは心配りして欲しいと思ったりするのです。

この松戸市の行事、おそらくは20年ぐらい続けているので、ご常連の参加も多いのが羨ましい限り。ミニコミ紙などの開催通知で今回は100人以上が集まって、昼食をはさん午後までの散策を楽しんだのでした。

《 かずさDNA研究所の公開講座 》

10月末には、久しぶりにかずさDNAの研究施設見学と開所記念講演会に出かけました。市街地の真ん中で暮していると、房総半島にはまだまだこんなにもみどり豊かな自然が残されているんだとほっとした気分になります。

車窓から見る枝打ちもされずに放置された杉林に、モウソウチクが侵入しているのも気になるし、道端に増えている外来種の種類をメモしたりしながらも、広々とした緑の風景には、やはり癒されます。

今までの講演会では、DNAの構造や最新データーの紹介など、かなり頭が疲れる話が多かったのですが、今回はだいぶ変わって、種苗会社の野菜のタネの話と、千葉県がんセンター研究所の最新情報でした。

この会場でいつも驚くのは、学生服・セーラー服の今どき貴重な若者が大勢参加していることです。理科系の先生の研修会や、高校への出前講座がかなり賑わっている気配なのがうれしい驚きです。

千葉県野生生物研究会では、千葉に生息するニホンイシガメの雑種からDNAの抽出実験や個体群調査などをやったらしい。「日本の未来を変える?人工知能とは―」とか「芝生の常緑性を科学する」などの勉強会も開催されているようです。

近くの市の公民館共同開催の行事で「DNAと老人病の講座」を開催したので出かけたら、なんと100人以上が集まってきたのにビックリしました。こういう需要も増えているのですね。

セイタカアワダチソウにどんな昆虫が寄ってくるのかが気になって、今年はこの花の開花を待ち続けました。人の丈よりも高く茂って、あたり一面をまっ黄色にしてしまってはうんざりですが、夏ごろに1回草刈して、背が低い状態で咲くとそれなりに愛嬌がある感じ。茶色になりかけたイネ科の細い葉とミックスすると、すごくいい感じで、湿原の草紅葉を連想したりしたのでした。

それにつけても、最近はコンビニでも除草剤を売っているのが驚きです。近くの駐車場脇で、野草の季節変化を楽しんでいたら、6月に枯れてしまった! 珍しくもカントウタンポポが咲いていたので、それを追いかけていたのに、です。

何か月かがたって、やっと緑色を取り戻したと思ったら、またもやまっ茶色にされてしまってガックリ。野草が緑色に茂っている風景だって、デカクなりすぎなければ、それなりに楽しいのに、と思う方がおかしいのかな?



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by midori-kai | 2017-11-23 20:49

第83回10月(神無月)セイヨウアサガオ と アケビ

 秋が深まるとともに、野原はちょっと寂しくなるけれど、まだまだ元気に咲き続ける花と、実がなるものとが見られる。10月を迎えて、ナシ農家もほんのちょっとの一段落、青い空・澄んだ空気。実りの秋はたけなわです。

今月はセイヨウアサガオの花と、アケビの実をご紹介しましょう。セイヨウアサガオは、午後になってもしぼまずに、霜が下りるころまで咲き続けてくれるのがうれしい花。

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原産地は熱帯アメリカで、日本に渡来したのは昭和10年ごろ。当時はドイツアサガオとも呼ばれていましたが、ドイツとは関係なかったと思われるのに何故? もっともアメリカアサガオの名前もありました。この仲間には外来種も多く、クズやヤブガラシ同様に林の樹冠を覆い尽くして茂るので、嫌われる存在になっている地域もあるんです。

光化学スモッグの注意報がひんぱんに発令されていた頃、オキシダント濃度が高まった状態で4時間曝されると、葉の表面に黒っぽい斑点ができ、やがて穴が開いてしまう植物がいくつかあった。この実験によく使われていたのがセイヨウアサガオの「スカーレット・オハラ」という赤い花の品種でしたが、今でも環境学習の一環として、この調査を続けている学校はあるのでしょうか? 

イラストに描いたアサガオの苗は、浦安市の環境フェアで購入したもので、空色アサガオ「ヘブンリン・ブルー」と呼ばれる品種だったはずなのに、咲いてみたら白い筋の模様が入るフライング・ソーサーという品種でした。名札の間違いは、鉢の植え替えなどで頻発する事故です。植生調査をやっている時も、大勢のスタッフがかかわって作業すると、思わぬ混乱が起こることもしばしばあるんです。

10年ぐらい前には、真間山弘法寺のそばに小さな花屋さんがあって、お墓に供える花を売っていました。その横に3月末頃から咲き出す白い花のシナミザクラが植えてあった。

花屋のご主人に聞いたところ「サクランボの木を植えようと思って、佐藤錦の名札がついている苗を植えたのに・・・」とのこと。コルトンプラザ横の公園に植えてあるウメは、緑萼梅リョクガクバイ)だったのに、梅の実収穫用の白加賀の名札がついていましたっけ。

このセイヨウアサガオ、緑のカーテンに使えばいいのに、と思っている植物の一つです。ゴーヤはたくさん実がなりすぎて、もう誰も食べてくれないと、ぼやいている人がふえてきた感じ。つる植物にもいろいろあるのですから、季節変化を考えながら、いろいろな組み合わせを考えるのも楽しいのでは、と思っています。

アケビの実は、市川大野駅の北側、武蔵野線のフェンスに沿って、カラスウリやツルウメモドキなどといっしょに茂っていました。こども環境クラブのナシの収穫体験の行事の時のことです。

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まだ緑色の果実で開いていない状態と、開いたばかりで中の実が熟し始めた頃のとを、いっしょに至近距離で見ることができたので大感激!

アケビは、いつもは高い木にからまっているし、つる植物が気ままに茂っているのを見られる場所が少なくなっているからなおさらのことでした。

昔の子どもは、この実を見つけると、すぐに齧った。甘い実を食べながらタネを吹き出す。それが種子散布の役割も果たしていたのかもしれません。花の時期には、どんな昆虫などがやってきたのでしょうか。

入学前の子どもたちが、今回は何人も参加してくれて、みんながはしゃぎまわっていました。ベビーカーを曳いて参加してくれたお母さんもいました。このあたり、5年ほど前は雑木林やナシ園だったのに、きれいに整備されたお墓になってしまって、昔の面影がどんどん消えていくのが残念でなりません。


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by midori-kai | 2017-10-31 07:19

秋に咲く花、みのりの秋   高 野 史 郎

暑すぎたり、雨が降りすぎたり乾き過ぎたりと、乱高下した夏が終わってもうすっかり秋です。移り気な細かい気温の変化に気をとられることもなく、季節になると冬鳥がやってくる。ヒガンバナは昔も今も、秋のお彼岸の頃に咲いてくれるのが不思議です。

市川ではもう田んぼは殆ど見られなくなったけれど、9月末に山梨へ行った時、車窓から段々畑やハザ掛けした稲束を眺めることができました。今どき、コンバインではなく鎌で刈って、そこの田んぼで干している地域が残っているのだと、やけに懐かしい気分になったのでした。

動植物たちは日照時間で季節を先取りすることが、かなり前から知られています。空気も水も大地も、温まるのには時間がかかる。夏至は6月なのに、真夏は8月。冬至は12月末なのに、いちばん寒いのは2月になってからというように。日照時間の長短が、2か月も早く季節を先取りして生きものたちに未来予測の情報を発信していることになります。

クリスマスを飾るポインセチアは、先端に花芽ができないと葉が赤くならない。花芽分化の条件は、日照時間が12時間15分以下になることが条件という実験結果もあるというのが驚きです! 

アメリカシロヒトリを使った実験でも、暗闇時間を実際よりも短くコントロールして秋の気配を感じさせると、10日ほどで越冬準備を始めるのだそうです。気まぐれな暖かい日に油断して、季節の切り替えを先送りしてモタモタしていたら、その種類は絶滅してしまうことになってしまう。自然界のおきては、想定外だから仕方ない、などとはいっていられません。

日本では秋になって寒くなったから紅葉する、落葉樹は身軽になって間もなく来る冬に備える、と考える。でも、赤道近くの夏緑林の地域では、気温には無関係に乾季になれば落葉する、雨季がくれば新芽が伸び始めるというわけです。東南アジアでは、1年12か月の気温が30℃以上で殆ど一定という地域だってある。地球は広いんですね。

千葉県の生涯大学校などで、自然環境についての講座を持っていた時がありました。主催者側では、地球温暖化とか、外来種問題などをテーマに、判りやすく楽しく話してほしいといわれる。

ところが、最後の質問時間になると「テーマとは関係ないのですけれど、ウチの植木が元気ないのは、水遣りや肥料が足りないんでしょうか?」の質問がよく出てきたんです。

これかなりの勘違いです。野菜や花の苗の植え替えでも、雨の日に移植すれば水遣りの手間が省けると考えるのは大間違い! 苗の立場からすれば、根を切られた状態から再生復活するためには、今までよりもたくさんの酸素が必要。土の水分が多い時に土をいじると、酸欠状態を助長することになってしまう。粘土質の土では、その後で固まってヒビ割れしたりする。根が切られる。

耕耘機が耕してくれるのは、せいぜい30cmの深さです。その下の土は、空気にも触れることなく、コチコチに固まっていることでしょう。排水が悪いところでは、そこに水がたまる。多くの植物では、新鮮な酸素を求めて地表近くに根を伸ばしていることを知って欲しい。

そんな畑の状態と、最近の集中豪雨による崖崩れなどとも、つなげて考える視点が必要になってくるのでしょうね。

地上のことばっかり考えていると、土台部分は見えないだけに忘れられてしまいがち。明石海峡に作られた大きな吊橋は、全長がなんと3910mで、真ん中部分の1990mを2か所の橋脚で支えている。橋脚の下には直径80mの基礎が作られているのだそうです。地上部分にかかる経費と同じぐらいの予算が地下部分にも必要だったとか。植物だって、地上のことばっかり考えないで、その下に張り巡らされている根の存在に、もっと目を向けましょうよ!

建築現場を見ていると、間もなく植栽される予定のスペースは、竣工間際まで石ころでいっぱいだったりします。そこにほんの30cmほどの土を盛ると、それまでの工事のことなど忘れてしまう。市街地の街路樹を取り囲む事情は、林の中のフワフワの土とは違って、ひどく厳しい状況なのです。

それにつけても気がかりなのは、市街地の街路樹下に植えられたバラのこと。下草が生えないようにするためか、根元には黒いシートが敷き詰められている。あれって、地下部分への水分の流れ・新鮮な空気の循環などについて、どの程度に配慮されているのだろうかとずっと気にしています。

植物の根は、地上部分を支えるとともに、各種の微量栄養素を含んだ水を吸い上げる。そして根は常に呼吸もしている! 土の中の水分量の変化にともなって、土の隙間に新鮮な空気が出入りする。そうした事情も配慮し、いろいろなテストも踏まえて、街路樹の下にバラを植えたのでしようか?  

ここ数年来の不順な天候で、夏の時期に雨が降らない年が昔よりも増えてきています。土の中の水分奪い合い競争が激化して、大きく育っている樹木が水分を先に吸い上げれば、根の浅いツツジやアジサイに回る水分はなくなって、枯れ込んだりすることになります。

道路中央のグリーンベルトにも、バラや根の浅い1年草を植えることが増えてきている。地域的には夏の水不足も懸念される昨今、市街地のこうした場所にまで、給水車で水やりすることなんて考えられませんよね。たとえば、カラカラに乾いた土には、30㎜・50mmの降水量に相当する水が必要になるでしょう。でもたぶん、こうした場所は土も固まっていて、水が外に流れ出すわりには、土の中にはしみ込んでくれそうもない!

老齢化した巨樹などの治療にあたる樹木医さんたちは、モミガラを利用したり、節を抜いた竹筒を地面の中に差し込んだりと、根を元気付けるいろんな方法をとっています。そんな配慮も、条件の厳しい市街地の植栽の参考にして欲しい。

それに、いま植えたバラがどのくらいの大きさに育って欲しいのかのイメージを。バラにはトゲがある。歩道側の外に向かって枝が伸びては困る。剪定の時期はいつ? 多肥料を要求するバラの種類も多い中で、適正な品種の選択がされているのかな。5年後、10年後にどんな状況に育つのかの見通しがされているのか。心配が絶えません。今の環境が暮しにくい時、動物だったら逃げ出して難を逃れる可能性も時にはあるけれど、植物にはそれができないで耐えるしかないんです。見回ったところ、枯れてなくなった株も多いようす。顔色もよくない。

公園の芝生に穴をあけて、無理にバラを植え込んだところもある。芝生は年月の経過と共に、かなり密に茎や葉が茂り、雨降りの後には水溜りができるほどになる。水がしみこんでくれないのです。だからゴルフ場には、低い場所に池を配置しているくらいなのに。

樹林地は、地下から大量の水分を吸い上げ、葉裏からの蒸散作用によって、あたりの気温を下げてくれる。木陰が、さわやかなクルースポットを提供してくれる。この地球にふえ続ける二酸化炭素を吸収してくれるのも植物の大事な機能の一つ。そんな地球環境への配慮もさりげなく感じながら、空を見上げて深呼吸、爽やかな気分になりたいものです。市川市は、健康都市を宣言してのですから。



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by midori-kai | 2017-10-31 07:13

第82回9月(夜長月)ツリフネソウとインパチエンス、ホウセンカ

いま、市川からは遥かに遠い八ヶ岳の南麓の美術館で、展覧会をやっています。テーマは「植物と昆虫の不思議な世界」。精力的に各地を回り、花に集まる昆虫を追い続けている水上みさきさんとのコラボレーションです。つまり虫媒花の花と昆虫との共進化の実例いろいろを、昆虫写真と植物イラストの組み合わせで、展示しているというわけです。

今まであまり気にしていなかった花の構造と花の蜜のありか、それを目指して飛んでくる昆虫の行動など、猛勉強しながら各地を悩み歩く結果となりました。

昆虫の可視光線が、ヒトとは相当に違うことはかなりよく知られています。ヒトが見える範囲は、要するに虹の色です。でも昆虫は赤い光には感じにくいものが多い。その反面で、紫外線領域が見える!

そこで、植物の花の立場としては、昆虫たちに花のありかを知らせるための蜜標と呼ばれる部分を用意することになった! 紫外線でめだつ、蜜の入り口を知らせるサインです。

一方で花の方は、近親繁殖を避けながら、許されたウチウチの範囲で雑種を作っていこうという仕組みがある。自家不和合性、自分の花粉ではタネができないという仕掛けです。種の多様性です。

今ちょうど開花期を迎えたツリフネソウは、花の一番奥が細く丸まっている。ここが蜜のありかです。

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昆虫が花の中に入ると、揺れ動く。背中に花粉が付く。やっと蜜を吸って別の花に移動したとき、背中の花粉が別の花のメシベに付くように、花の構造配置を考えて長い年月が経ったものらしいのです。すごいことですねえ。

 同じ仲間のアフリカホウセンカ、通称はインパチエンスです。古くから栽培されているホウセンカもみんなみんなインパチエンス。植物図鑑ではツリフネソウ科ツリフネソウ属となっています。

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花を横から見ると、花の下の先が細く尖って距(キョ)と呼ばれる形になっていますが、気がついている方は? 

たぶん蜜を求めてやってくる昆虫は、花の中心部にある紫外線で黒っぽくなっている部分を目標に飛んでくる。蜜の匂いを感じることがあるのかも。下の花びら2枚の間には小さな隙間がある。そのすぐ上に、蜜のありかに続く秘密の「奥の細道」があるのに気づく。

蝶の口はいつものゼンマイ型になっているのを伸ばして、細い先端に届かせる。ちょうど、息を吹き込むと真っ直ぐに伸びる風船のように。

こうした仕組みがどうして成り立っているのかが、自然現象の不思議ふしぎの由縁です。「長い歴史を共に生き、共に進化してきた・・・」というのがサブタイトルになっています!


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by midori-kai | 2017-09-25 05:47

夏の思い出・ヒガンバナのことなど  高 野 史 郎

この夏の天候異変はひどいものだった。猛暑日が続くのが当たり前になった。歴史的な日照不足が続いたところもあった。数時間に500㎜・1000㎜という、信じられない降水量が被害を各地にもたらした。例年の1か月分の降水量に匹敵するなどという表現が、頻繁に使われるようになってしまった。これから先、年平均などという表現は、どんどん変わっていってしまうのだろうか。

市川名物のナシも、水分不足で大きくならないという日が続いて、ナシ農家の苦労が絶えなかったらしい。それが8月末頃からの雨の恵みで、急速に元気を取り戻したのがよかった。

自分自身、加齢とともに3日たつと忘れてしまうことがふえてきている。ニワトリは、3歩あるくとみんな忘れてしまうという。誰がどうやって調べたのだろう。あるいは、わが身になぞらえてのたとえ話なのか?

決して些細な出来事では済まされない天候不順なのだが、なんとか季節の花が咲いてくれるのはうれしい。お彼岸の頃になれば、またヒガンバナが咲いてくれることだろう。開花の半月ほど前に、細身の白いアスパラガスのような花茎を伸ばしたかと思うと、あでやかな真っ赤な花を咲かせる。最近はナガサキアゲハが来るのも目立つようになった。一見クロアゲハに似ているが、後翅に突起がなく温暖化の表徴種のように話題にされる蝶だ。

ヒガンバナについてのちょっと古い資料では、前川文夫さんの記録がいつも思い出される。植物文化史や系統進化などにユニークな意見を出された方である。終戦直後の10月、広島や長崎の植物がどんな被害を受けたのか調査された報告がある。

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                                                     (市川市大町の庭先から2017.9.25)

当時、原爆が落ちた後には、生きものが長年月にわたって住むことができないだろうといわれていたことに対しての調査だった。

それによると、長崎の爆心地に近いところある浦上の駅に向かって北から徐々に近づくにつれて、遅咲き状態を示していたヒガンバナの丈が低くなり、爆心地から5㎞ほどの距離からヒガンバナの姿が見えなくなった。別の日には、反対方向から線路沿いや田んぼの縁を歩いて、調べて回った。

「見えないのは当然で、まるで春先のショウジョウバカマのように小さく、花は殆ど開かずに、みすぼらしい状態だった」といわれる。「掘ってみると、地面から数センチのところにラッキョウのような多肉の鱗茎があって、存外ぴちぴちした感じであった」と。

原爆の放射能によって突然変異は誘発されるのか?と、かなりの数のヒガンバナの鱗茎を持ち帰り、東京と京都に植えられた。その結果は、葉も殆ど伸びず花茎も1本も立たなかった、とのこと。

「掘ってみると、そこには腐れ残った鱗茎しかなかった。これは新しい芽がまったく作られなかったことを意味する。つまり、原爆の落とされた89日にはまだ花茎は鱗茎の中に短いままで納まっていたが、この方は短くはなったが、少なくとも枯れずにいじけながらも伸びることができた。或る程度、形ができていたものは変形しながらも残って咲くことだけはやれたのである。」

「花茎はその年の暮れに、鱗茎の皮は翌年の春に枯れるのであった。ところが、鱗茎の皮の内側に原基ができて、これが夏には小さな腋芽として成立し、秋の終わりには急速に大きくなって葉として延びるはずだったのに、この原基は地表下数センチで一見安全なように思われる場所にいながら、完全にいかれてしまったのである。若い生長点が却ってやられる。放射能の恐ろしさを改めて思い知らされたのであった。」(出展は 前川文夫:日本人と植物 岩波新書1973年) 

日本の植物学の発展には、本草学から延長線の要素が極めて強いとよくいわれる。まだ薬がなかった時代、薬草に関しての智慧は生活していくための必要不可欠の技術でもあった。

ある時は、野生動物の智慧に学んだ。体のどこかが病んだとき、元気のいい動物たちのその部分を食べると、元気が回復すると思われた伝承的な記録が世界中にあるらしい。

ヤドリギが、あんなに高い枝先に茂って、めまいもせずに暮しているのは、きっと不思議な力を持っているのだろう、高血圧に効くかもしれない、などという関連付けがヨーロッパにあったという話を、薬用植物園で聞いたこともある。

戦争中に徴用された植物研究者たちは、大勢の将兵の食料を大量に確保し、毒になるものを食べないための調査に専念したという、ちょっと信じかねるような作業もあったと聞く。

91日は、防災の日でもある。天災は忘れた頃にやってくる、と以前はいわれていたが、最近は季節はずれの災害が各地で頻発する時代になってしまった。

カスリーン台風は1947915日、もうその頃のことを知っている人も少なくなりつつある。真間川の氾濫、床上浸水の被害にあった人も多かったはず。最近は、想定外の事件が頻発する恐ろしい時代になりつつあるが、ヒガンバナは例年どうりに妖艶な赤い花を咲かせてくれることだろう。

秋は、実りの季節でもあります。



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by midori-kai | 2017-09-25 04:19

第81回(葉月) 湿地に生える タコノアシ

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 タコノアシ


この植物の名前を知っている方は、かなり多いと思われますが、現地で花の追跡調査された方は? 見るからに変な花で、見ていて飽きない! 花弁がない。咲き始めたころは渦巻みたいに丸まっているのに、やがて傘の骨のように広がり、天を目指して放射状に伸びる!

 花の形が、タコの吸盤に似ているのが和名の由来というけれど、足が細いからタコよりはゲソみたい。

なんで「イカノアシ」にしなかったんだろう?と、ずっと思っています。

 図鑑によって、ユキノシタ科に区分されているものと、ベンケイソウ科にいれられている場合とがある。ベンケイソウ科にしては、多肉質ではないし、蜜腺がない。昆虫は寄って来るのでしょうか?

 市川市での記録では、行徳橋西側の河原と、国府台に分布するとされています。湿地や休耕田などで見られます。

セダム(キリンソウ属sedum)は乾燥に強いし、丈が高くならないから、屋上緑化などにも使われますが、この点でも湿地が好きなタコノアシは、他のベンケイソウ仲間とは生態的に違っています。

 タコノアシは絶滅状態に近い地域もあるのです。これは生育に適した環境が護岸に固められてしまうなどの、つらい状況によるものでしょう。果実は乾燥すると上の部分が裂けて、帽子のように落ちて種子散布を助けるのもユニークです。

イラストのモデルになったタコノアシ、現場から2株の先端を30㎝ほど頂いて持ち帰り、何日もしげしげと眺め続けていました。10日経ってコップから引き上げてビックリ! なんと、葉の付け根から何本も発根していたのです。切り取られたという刺激で植物ホルモンの流れが変わった? コップの中という環境の変化からの、驚異的にすばやい植物の反応です。結果として、挿木したのと同じことに。

気がかりなこともあります。行き止まりになってしまった旧坂川に、不思議な水草が茂りだしたのは、2001年頃だった。いま、フジバカマの里となっている場所のすぐ西側の旧坂川です。県立中央博物館の大場達之先生が、仮の名として「オニタカサブロウ」と命名された草があります。

だいぶたってから、実は観賞用水草として輸入されたらしく、既にミズヒマワリという種名が付けられているのが分かった。水槽で増えすぎたものを捨てて、それが流れ流れて川に行き着き、大繁殖する結果となってしまったらしい。これは後に、国交省の人が何人も胴長を着て川に入り、外来種駆除に大変な苦労されたのでした。

里見公園から江戸川に下る急な階段のところは、花壇から逸出した「ノハカタカラクサ」がびっしりと茂っている。増えすぎた園芸植物の自然環境の中への移動は、絶対にやめて欲しいもの。

 セダムの仲間、海岸の岩場には、タイトゴメなどがあります。外国生まれの種類も多く、ツルマンネングサは、三番瀬のコンクリート護岸の割れ目などにも並んで茂っています。


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by midori-kai | 2017-08-22 07:22

横浜の人工干潟見学、生態系協会の樹木葬現地を見る  高 野 史 郎

7月末の天気の異常さは、ひどいものだった。梅雨なのに雨が降らない。昔の梅雨は、薄暗い曇り空が何日も続き、「粉糠雨」という感じの雨がシトシトと降り続いたはず。

コヌカアメなどという言葉、もう死語になってしまっている。東南アジアから日本に来た人たちは、ザーッと降ってもすぐに青空が出るスコールに慣れているから、雨が降っても小走りに駆け出したりはしないで、ゆったりと濡れながら歩く。日本の梅雨空にビックリしていたっけ。

各地に記録的な集中豪雨をもたらした。気象データーの平均値というのは意外に難しい。西暦年の1位の1の年から30年間の観測値の平均で示すことになっているから、今発表されているのは、1981年から2010年までの30年間の平均値となっている。昨今のような局所的な集中豪雨が頻発すると、今までの常識が成り立たなくなってきているのかも。時間雨量が30㎜という堤防の基準は、各地で頻繁に突破している。

かつての山男たちは、ラジオで風向や気圧のデーターを聴きながら、自分で天気図を書き込んで作り、その日の行動予定をたてる参考にしていた。今は誰でも、日本列島の上空を移動する気象状況を、一目瞭然にわかってしまう便利な時代になった。手間隙かけるのは面倒なようでも、からだ全体で理解し、その先の行動へとつなげられるのだと思うけれどいかが?

普通の大きさのプランターには、土が15リットルほど入る。腐葉土などが適度に入っていれば、土の隙間が40%ぐらいあるだろうか。すると、ゆっくりと徐々に水がしみこんでいけば、1リットルの牛乳パックで6つ分の水がしみこむ計算になる。林へ行ったら、落ちている棒切れで、どのくらいの深さまで土の中に入っていくか確かめてみよう。フワフワの樹林地が、緑のダムといわれるわけを現場で考えていきたいもの。

《 横浜の人工干潟見学と「べいくりん号」乗船 》

この7月も各地でたくさんの環境関連の行事があった。7月24日に実施された「東京湾の人工干潟見学」にバスで出かけた。千葉県の今年度環境講座が15ほど計画されているうちの一つで、「環境パートナーシップちば」が実施している。

干潟というと、市川では東浜先の三番瀬をすぐに連想してしまう。3.11ではここでも大量の砂が海に動いた。それ以降の、海辺の生きものたちの復活を気にし続けている。ここが、市川では殆ど唯一の海浜植物の群落地だったのです。

千葉では木更津沖の盤洲(ばんず)干潟が有名だし、稲毛の浜というのもある。横浜の港湾施設に、国交省が作った「潮彩の渚」がどんな状況なのか、気になるじゃありませんか!

地震に強い港湾施設で、海の生き物たちと共存できる構造を作り、今後の護岸の補修などにも活かしていく実験施設というのです。目の前には東京湾の広がりが見渡せるような、かなり広い面積を夢見ていたのに、コンクリートで囲まれたその場所は、湾の片隅で管理事務所前の、かなり小さいものだった・・・。ちょっと期待はずれ! 

でも、運ばれてきた山砂が今では海の生き物たちのゆりかごとなり、小さなカニやハゼの類などを育て始めている。海の生態系は、こんな小さなところにも息づいていたのでした。

ここでの記録では、メバル、シマイサキ、イシガレイ、カタクチイワシの群れ、マアナゴなどなど。低く3段になった渚の下の段には、アマモも育っているという。海はやっぱり、生き物たちのゆりかごなのを実感です。

引き続きライフジャケットをつけて、海の清掃と流れ出した油の回収にあたる双胴の「べいくりん号」に乗り込み、船長さんたちから説明を受けました。

二つの胴体の間を海水が流れる。浮遊ゴミの多くは水温などが違う潮目に集まる。それをすばやく探知して大型のスキッパーで救い上げる。大きな漂流物は、船員さんがスキッパーに乗り込んで分別したり、多関節クレーンを伸ばして回収するのだそうです。台風通過後には、ゴミの量も激増するという。

3.11の東日本大震災の時には、塩釜港に1か月間も緊急派遣し浮遊ゴミの回収作業にも参加したとのことでした。

いま、世界中の海で陸地から流れ出る大量のゴミが課題になっています。毎年800万トン以上のプラスチックゴミが海へ流失しているという。このペースで進むと、2025年には海の魚3トンに対して、プラスチックゴミが1トン。それが2050年には、サカナよりもプラスチックゴミが上回ってしまうという、恐ろしいデーターも発表されています。

《 茂原の樹木葬現場を訪ねる 》

7月27日には、日本生態系協会が計画実施している樹木葬「森の墓苑」の現地を見学に行ってきました。外房線の茂原駅から車で20分ほどの場所です。樹木葬って、聞いたことはあっても現場を訪ねている人は多くなさそうなので紹介しておきましょう。

武蔵野線の市川大野駅近くの高台のナシ園や雑木林が、次々と切られてしまったのが4年ぐらい前だったか。ここは、大柏小学校の先生や生徒さんたちが自然観察散歩などに使っている地域でした。こどもエコクラブのメンバーのナシのお花見会・ナシ狩り体験にも使わせてもらっていた所です。それが、またたく間にまっ平らに整地され、墓地に早代わりしてしまった!

「花と緑の市民大学」の実習地としていた柏井町の市民キャンプ場近くも、以前には自然公園的な樹林地が計画されているとかの噂が流れていました。あの場所は、鎌ヶ谷市と船橋市とが入り組んでいて、区分けが複雑な事情もあったのでしょう。その後にここも墓地になった。

中山の奥の院近くには、樹木葬をキャッチフレーズにしたお寺もあります。作ったばかりのマップを使っての散策会の時に寄ってみて、あまりの殺風景さに、参加者からブーイングが出た! 

4mほどの木の下に、蜂の巣状に丸い蓋が何十も並んでいる。ここに骨壷をはめ込むらしい。もう少しはのどかなところかと思っていたのに、というわけです。市街地の真ん中には、広い自然の中での安らかな眠りなど、しょせんは無理な注文ということなのでしょう。

そんな状況の中での、生態系協会が50年先には自然の森に戻そうという構想での樹木葬です。場所は、房総丘陵の土砂採取場跡地。茂原駅からは市街地を抜けて、静かな山の中です。アクアラインが工事中の頃だったか、山砂を積んだ大型ダンプが、ひっきりなしに砂ぼこりを立てて走っていた頃を思い出す!

協会がこの樹木葬を計画した背景には、無秩序に進む墓地開発に歯止めをかけ、やがてはもとあった形の自然の森に返したいという思いがあったからのようです。人口減少が続いている日本でも、お墓の需要は当分続くらしい。それに昨今は先祖代々のお墓ではなく、個人のお墓の要望も多くなっている。

市川で、自然葬についての講演会が開かれたこともありました。夏目漱石さんなども、お墓が増えすぎることを憂慮されていたのだそうです。葬送の自由を進める会などの組織もあります。

いわゆる墓埋法(墓地・埋葬等に関する法律)から、節度を持って行われる限りは問題ではないという見解を引き出し、海からの散骨がはじめて実施されたのが1991年10月といわれています。

この場合は、遺骨を2㎜以下に粉砕し、海に投げる花束もラッピングなどはしないことになっているらしい。喪服などは着ないで、さりげなく振る舞い、周辺からの誤解を招かないように心がけているという。

「森の墓苑」を開設するに当たっての法律解釈とか、近隣の人たちへの趣旨説明にも苦労されたようです。自然保護関連の協会が、こうした事業をすること自体が初めてのケースだったのです。

現地は、雑木林に囲まれたゆるやかな斜面でした。墓地には既に契約した人もいて、地際に小さな木の札がそれを示しているけれど、石碑はありません。1×1.5mが基本的な区画で、いくつかおきに高木植栽地が指示してある。

高木としてリストアップされているのは、ヤマザクラ、コナラ、ネムノキなどです。低木のリストには、ヤブムラサキ、コバノガマズミなどが選ばれていました。いずれも周辺の樹木からタネを取り、ポットで育てられています。

30年たった頃からは徐々に通路などの草刈作業を控え、50年後には元の林に戻るという遠大な構想です。日本では、昔から山全体をご神体と考える伝統もあったという。本当は、お墓の中には誰もいなくて、やがては「千の風になって」遥かかなたから、世の移り変りを眺めているという気分になってきますね?!

茂原の近くには、国の重要文化財になっている笠森観音があります。岩の上に60本もの柱で支えられた四方懸造という珍しい構造の建物です。

もう30年ぐらい前になるか、県民観察会の企画運営のお手伝いを担当していたので、笠森は何回も通ったところでした。房総の山々は、標高のわりに険しい。細い尾根道の両側は、見下ろすと千尋の谷という地形が続いています。



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by midori-kai | 2017-08-22 07:18
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市川市の山林所有者が集まり、自然景観【里山緑地】を守る会です。地球温暖化や樹林地とのつながりを考えています。


by midori-kai
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