鎌倉の大イチョウと段(だん)葛(かづら)の桜並木、2016年が終わる   高 野 史 郎

半世紀振りという11月の初雪が降って、葛飾八幡宮あたりのイチョウも、黄葉から落葉とへと季節は急速に様変わりする。今年は、秋が短かったと誰もがいう。
鎌倉の、あの鶴岡八幡宮の大イチョウは、その後どうなったのだろう。段葛(だんかつら)も改修され、そこの桜並木も植え替えられたと聞いてはいるが、確かめに行っていないのをずっと気にしていた。
人通りの多いあの場所で、サクラの植え替え工事は困難を極めたことと思われる。そして、本宮へ上がる石段のすぐ左側に聳えていた大イチョウが倒れたのは、平成22年(2010年)3月10日の午前4時40分だった。このあたりの事情は、濱野周泰先生の論文に詳しく記されている。(山林、第1531号「その後の鎌倉の大イチョウ」、平成23年12月発行)。
鎌倉駅を下りて、さっそく二の鳥居に向かう。大きく枝を張り出していたサクラは、すっかり若い桜並木に変わっていた。幹の太さは10㎝ほど、若木の高さは身の丈の3倍ぐらい。そこからずっと先の、左右に平家池・源氏池と並ぶ三の鳥居までの桜並木の長さは、800mぐらいあるだろうか。歩幅で確かめながらサクラの本数を数える。左右に約180本か。
老齢の桜を、どうやって取り除いたのだろう。根元の土は、どんな調合でどこから運んだ? 土の深さはどのくらい? 古い土は、どこへ運んで捨てた? 行ったり来たりしながら、それを考える。
サクラの若木は、もうすっかり落葉している。紅葉した落ち葉を何枚も拾う。葉の形や蜜腺の位置を確認する。葉の形からサクラの種を確定するのは至難の業。来春の開花が楽しみだ。
土の表面は、マッチ棒ほどの小枝がたくさん混じった腐葉土のようだった。散水栓があちこちにある。サクラの若木の根元近くに、ネットに玉石が詰められているのを見つけた。最初は落し物かと思った。引き抜いてみようと思ったが、さすがにそれはためらわれた。
どうやら長いネット状の袋で、根回しした外側の位置に計画的に埋め込まれたものらしい。空気孔の役割を果たすのだろうか。市川駅の南側、タワーイーストのタブノキの植え込みでは、発泡スチロールを詰めた長い枕のようなものを何本も根の周りに入れていた。植え込みの時には、こういう作業をすることになっているらしい。

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正面の大イチョウに向かう。2年ぶりのご対面である。どうなっている? 胸騒ぎがしたが、安泰なのをみてホッとした。階段横にそびえていて倒れた大イチョウの切り株は、地上4mの高さで残されている。右側から真っ直ぐに細い新しい幹を伸ばし、ピラミット型に広げた何段もの横枝には、黄色の葉が輝いていた。
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一方で、左側に置かれた移植根株からも、多数のヒコバエが育っていた。よかった、よかった。解説の立て札を見ていた人たちは、「別当公暁のかくれ銀杏」を、しきりに話題にしていた。
それにしても、段葛工事の細かい事情を聞きたいものだ。階段の上で見回り役のような守衛さんに事情を聞いてみた。桜並木は今年4月に植え替えが完了した。工事には2年ぐらいかかったとのこと。鎌倉駅で貰った40ページほどのガイドブックは、老舗や食べ物の記事が満載なのに、サクラのことには全く触れていない。
駅近くの観光案内所では、大仏さんへのコース紹介や観光バスのルートの説明ばかりが賑わっていて、段葛のサクラなどには無縁らしい。鎌倉市役所の商工観光課へ行ってみた。「八幡宮さんがやっていることで、ウチにはそういう資料は置いてありません」とのつれない返事だった。樹齢せんねん
この大イチョウ、樹高は約30m、幹の周囲は約7m、樹齢は1000年を超えるだろうといわれていた巨樹である。参拝客に知らせる、もう少し細かい解説がどこかにほしいと思った。
このあたりを何回も往復し終わってから、心配になってきた。誰も桜並木が様変わりしたことに気がついて、立ち止まる人はいなかったこと。サクラが咲く季節になって「あれ、いつの間にか、若い木に変わったみたいね」ということになるのだろうか? 落葉が終わったサクラは、おそらくは来春への準備の殆ど完成させて冬芽の中にひそめ、春の訪れを待っているはずなのに。

珍しい11月の初雪のあった日、市川みどり会の総会に引き続き、八柱駅近くの「さんかい亭」で忘年会が開かれた。配布資料によると、来年7月4日の午後、創立45周年記念事業として(仮称)「土地法の矛盾と相続税対策」が予定されているとの事。場所は、市川駅北口の山崎製パン企業年金基金会館で15時から。一般市民にも緑地保全の立場から、広く呼びかけていきたいと計画が進められている。
市川みどり会と税金問題って、どう結びつくの?と怪訝に思われる人も多いと考えられるので、ごくごく簡単に、知っている範囲で解説させていただこう。
土地を所有している世帯主の方が亡くなると、相続の問題が発生する。土地に生えている樹木などは、それがどんなに貴重なものであっても、税金的には全く無価値のものと評価されて更地にされてしまう。税金が差し引かれ、残りが相続人に分割される仕組み。結果として、貴重な緑地は消滅する!
市川みどり会の設立は昭和47年で、当時は市川市内の山林面積約190haうちの約72%を占める136haが会員の所有だったといわれる。しかし、市川市は東京に隣接しているという立地条件から都市化が進み、相続税が発生するたびに緑地が失われる。平地林の大半はすでに消滅し、残されている山林も細分化されるという現状にある。
温暖化に伴う気候変動も加速し、豪雨による土砂崩れ、強風による樹木の倒壊の危険が増えている。また、樹林地に隣接する住宅からは、枝きり伐採を要望する声が高まっている・・・。
「健康都市・市川」は、自然の多様性にも恵まれた市川で、そんな自然の恵みに感謝しながらの散歩道を維持管理していくこともまた、重要な課題となってくることだろう。
自然との付き合いが、なぜか観念的になって難しくなっているこのごろ。もっと素直に、空の青さを、季節の風を感じて微笑んでほしいのに。
自然観察というと、動植物の名前をたくさん覚えること、となってしまってはあまりにも淋しい。もっと文化豊かな歴史の流れから、未来への展望へとつなげていきたいものだ。

6月25日にわんぱくの森で開催された「森の音楽会」は200人以上の人が集まって楽しんでくれた。二胡を演奏された梁天任さん、司会を担当された須磨佳津江さん、ともどもにまたいつか、こういう会を実現したいと考えていらっしゃるとのことだ。
市川には、まだ残された林がある。市内各所の樹林地で、里山管理の作業を続けているボランティアグループがいくつもあることを、もっとたくさんの人に知ってほしい。
市川市は南北に長い。総武線沿線で暮らしている人は、江戸川の向こう側をあまり知らない。反対に行徳地区に住む人たちは、市の北端に「なし街道」の大町があって、緑が茂るわんぱくの森などが残っていることを知らない人が多いように思われる。
市川市には、長い歴史を持っている「子ども環境クラブ」があって、それぞれのグループが工夫をこらしながら活動している。そうした子どもたちにも、市川にまだまだ緑地が残っていて、大切に守られていることを実感してほしいものである。
いろいろな人たちを横につなげながら、市川の自然豊かな多様性を、カラダで感じてほしいと願っている。
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by midori-kai | 2016-12-17 07:31
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市川市の山林所有者が集まり、自然景観【里山緑地】を守る会です。地球温暖化や樹林地とのつながりを考えています。


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