市川の自然散策・北西部を歩く 高 野 史 郎

急に寒くなってイチョウの葉が黄色くなり始めた。サクラの葉はとっくに散っている。近づいて枝先を確かめると、冬芽がしっかりと育っている。もう春の開花を迎える準備が整っている12月となった。
 市役所とかかわるようになったのは15年前、最初の仕事は自然観察のためのガイドマップを作ることだった。6区分にする町の境界をどこにするか、デザインの原案などは岡崎清孝さんが周到に準備されていた。
この20年余りのまちの変貌は著しい。散策コースの曲がり角の目印や、まちの景観を際立てるバックの緑の形が、すっかり変わってしまったところも多い。かつて作られたマップの賞味期間はとっくに過ぎて、過去のものになって久しい。
何十回と歩きまわった市川市内だが、改めて古寺巡礼のような気分で歩き回わり、記録しておこうという気分になってきた。季節を変えながら、市内を20か所ぐらい散歩すると、市内全域のイメージを再認識するきっかけが出てきそうな気分になってくるだろう。
そもそも、この欄に原稿を書くようになった動機は、市川の緑地をもっと楽しく市民に伝えてほしいという、みどり会の宇佐美さんからの依頼であった。5年ぐらい前のことである。
そして、この7月4日に大町会館で開催された濱野先生の講演会を知らせるチラシの原稿、宇佐美さんが最初に考えだした言葉は“市川に緑はいらない?”という、かなり皮肉なキャッチフレーズであった。
さて、どこから始めようか? とりあえずは北のはずれからスタートすることにした。北総線の北国分駅が歩き始めの地点である。
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(北国分駅からスタ-ト)

 地下に潜って見えなくなる北総線、矢切駅から北側の三角形部分は、市川北西部の端で松戸市と接している。外環工事が進行中で、巨大な掘割は、コンクリートで固められ、既に埋め戻された部分もある。あの膨大な土砂の量は、どこかへ一時避難し、そこからまた何十台ものトラックで運ばれてきたのだろう。数年後、掘り返されて日の目を見た埋土種子からの発芽で、どんな植物が茂り始めるのだろう。おそらくは、多様な外来植物の群れであろうか。
 北国分駅から程近いところに、イザナギ神社がある。遠くからも市の記念物とされているハリギリの巨樹が目立つ。指定は昭和54年(1979) 4月24日、樹高は約20m。
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(いちかわの巨樹より 20http://www.city.ichikawa.lg.jp/env02/1521000003.html )
03年には県の委託事業を受けて、10本の巨樹について樹木医さんが健康調査を行い、地下へ空気管10本を埋め込んだり、木炭やモミガラを入れるなどの治療を行った。このハリギリもその一つ。
下枝がないから、葉の状態や花を確かめるためには、野鳥観察のように双眼鏡で見上げることになる。幹を取り囲むように低いフェンスで囲まれて、踏み固められるのを防いでいる。おそらくは信心深い地元の方々が、几帳面に毎日のように掃除しているのだろう。いつ行っても箒の目がすがすがしい。
しかし、なんとも気がかりなのは、金網の内側に大量の落ち葉を積まれていること。ひどいときには30cmも積まれ、ヒヨドリジョウゴやアカメガシワが芽生えていたりする。根が呼吸困難になってしまわないかと気がかり。
北側入り口すぐのタブノキは、枝を間引きするように明るく整えられた。社殿の外側にはサカキが植えられている。かなり太い切り株が何本か見えるのは、何の木だったのだろう。かつては、境内の面積もずっと広く、鬱蒼とした鎮守の森の景観を示していたに違いない。
西に移動して考古博物館に向かう道路沿いには、ポプラかと思うようなケヤキが列植されている。ムサシノケヤキと呼ばれる品種で、横枝が伸びて車の視界をさえぎらないように改良されたものだという。落ち葉を拾って確かめると、ムクノキの葉のように固くざらついていた。いつも気にしているのだが、普通のケヤキのように実のついた小枝が落ちているのが見当たらない。この木の生まれ素性を知りたいものだ。
駅前三差路のところには、五反割公園がある。南側にはブランコなどの遊具があり、砂が敷かれている。北半分は芝生というユニークな公園である。落葉樹のエノキと常緑樹のクスノキが並んで植栽されているのも珍しい。五反割って何のこと? 何十年か前の区画整理の由来があったのだろう。いつも思うのは、親子でいっしょにまちの歴史を語れるような、単純明快な解説が欲しいと思う。これをするのは、どこの役割分担なのだろうか。
このあたり、新しい住宅地もできているが、総武線沿いでは考えられないような緑地が残されているのがうれしい。北国分第4緑地、北国分第2緑地など、市民の人がゆったりと散策して季節を感じてほしいもの。
もう10年ぐらい前のことになるが、この地域の団地自治会から呼ばれたことがある。住民の意見がまとまらないので、話しを聞いてやってほしいとのことだった。
「あの木があるから楽しい」という5階の住人と、「冬に日当たりが悪くなって、フトンが干せなくなるから切ってほしい」という1階の人との対立。近所のナシ畑で薬剤散布するのが心配。そして、「今は科学が進んでいるのだから、悪い虫だけ殺して赤ちゃんには何の害もない薬があるはずだから、それを教えてほしい」などなどの会話が、2時間も続いた!
第4緑地は、ゆるい階段を上ると通路がアスファルトで舗装され、樹林地に踏み込めないようにされた回遊コースになっている。林の中にちょっと入って棒切れを土の中に差し込んだら、20㎝も入ったのに驚いた。土壌微生物が多く、落ち葉の分解が進んでいるのだろう。いつか、大雨の日に出かけて、雨水の吸い込みなどを確かめてみたい。
いまはもう「逍遙」などという言葉は死語になっているけれど、梢の先に覗く高い空を眺めて、緑の風を胸いっぱい吸い込んで、世の邪念を払いたいもの。市街地では考えられないのどかな時間が、ゆったりと過ぎて行く。
少し進んですぐ西側にあるのが、北国分第2緑地である。台地上のナシ園の作業のために、斜面を登るトラクターの道がそのまま上りコースになっている。イヌシデなどの林、低木はアオキなど。上りきったところには、雌雄のシロダモが並んでいる。
1年前に咲いた雌株の花がこの冬には赤い実となり、一つの枝で今年の花といっしょに見られる。1年分の成長量は20㎝ぐらいか。ヤブツバキも満開。ムラサキシキブの枝の先端は、小さな葉を2枚抱き合わせたような裸芽が特徴で、実がなくてもこの季節にはすぐにわかる。

禅照庵は、台地上の墓地に続いてひっそりとある。ここのラカンマキも市の記念物で、昭和58年11月3日の指定。千葉県の木・イヌマキよりも小型の園芸品種。名の由来は、果実の状態を羅漢の首と胴に見立てたものといわれるのだが、この株は雄株なのでそれを確かめることはできない。ねじれたような幹のうねりがたくましい感じ。だが、根元をきれいに除草してあって、根が日焼けし痛められないかとちょっと気になるところではある。
数年前は、背景になる樹林が、このあたり全体をやさしく包み込んでいたはず。近くの散歩道で見かけるビニールハウスの中は、トマトか、キュウリか? 冬には、石油を燃やして保温しているのだろう。 
農地の隅に皇帝ダリアが背高く伸びて、赤紫の花を咲かせていた。ここ10年ぐらい前から各地で見られるようになったが、典型的な短日植物で、日が短くなって花が咲く習性がある。
霜がおりれば、花が咲く前に枯れてしまう。市原市あたりでも、寒い年は開花前にしぼんでしまうという。気温変動が激しい昨今である。その年の暑さ寒さの指標になるのではと思う。地球温暖化の指標は、ナガサキアゲハやアカスジキンカメムシばかりでなく、身近な動植物の継続的な観察記録を積み重ねて、実感のあるものとしていきたいもの。
外環道路近く、太いスダジイがある場所の横が、いつのまにか空き地になり、国有地の看板が立てられていた。あるいは、所帯主がなくなられて、相続税支払いのために手放したものでは、と暗い気持ちになった。
イチョウ2株が並ぶ愛宕神社を半年振りに眺める。
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(いちかわの巨樹より http://www.city.ichikawa.lg.jp/env02/1521000003.html )
幹の直径も、根元を踏んで通る2本の間の道の幅も1.8m。この2株の記念物指定は昭和58年11月3日で、禅照庵のラカンマキといっしょだった。
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ここから奥の社殿に向か参道に並んでいるのが、胴切りされてなんともうら悲しいクヌギの幹である。
社殿に上る階段横に茂っていたイチョウは、この辺りで唯一の自然樹形を保っていたものだったが、2年前に惨めなくらいに枝を切断されてしまった。秋にはギンナンがたくさん落ちる。この階段あたりで、隣の保育園の子どもたちが楽しく走りまわっていたのだが。
神社の立て札には、「境内では遊ばない。樹木は大切にしましょう」と書いてあった。

1年の締めくくりだから、明るい話を書こうと思っていたのに、見通しが暗くなってしまったようだ。この次には、もっと明るい展望を書きたいもの。
この11月も、いろんなところへ出かけた。行く先々で、市川市との比較が頭をよぎる。22~23日は、県の環境学習の専門家集団20名あまりが、はるばる山梨県の早川町の市民農園体験セミナーへバスで4時間の旅。
急斜面の深い山々に、落葉樹の多様な紅葉が次々と車窓につながって見えて、どきどきのしっぱなし。このプランをまとめてくれたのが、中央博物館で環境学習を進められていた小川かほる先生である。
 早川町の話題は多すぎて、短い文章にまとめようもないほど。この過疎のまちを、ずっとかかわってきたのが、生態計画研究所の小河原孝生さんで、市川市の自然環境保全再生指針でも大変お世話になった人。関心のある方、インターネットで調べて、ぜひ出かけて体験してほしい。日本一小さくて、素敵な山村である。

 11月29日には、国府台の旧血清研究所の赤レンガ見学会があった。200人ぐらいが集まっただろうか。かつての市川は、軍都の歴史が長かった。
ここをいま、平和・芸術文化、そして自然環境をつなげて考える活動拠点にしようという運動が始められようとしている。
すぐ西側には、江戸川の流れがある。斜面林がある。このあたりは市川の多様な自然環境がほんのちょっとだが、まだ残されている地域でもある。こぎれいに整理された自然ではなくて、ナマの市川を一望できる素敵なロケーションのように思われる。
 生態学の語源は Oecologie これはoikos + logos から作られたという。家計の意味もあった。生産(収入)があって消費(支出)がある。植物たちが光合成という名の生産活動をやめてしまえば、消費者としての動物たちは死滅することになる。昔は、エコロジーとエコノミーは同義語だったのだ。 
 この日の午後、皇居東御苑の見学に出かけた。少し早めに行って、大手門周辺をぶらつく。自転車が行く。ランニングの家族が走る。外人客も多い。
街路樹のプラタナスに白いテープが巻かれていた。周辺の街路樹との統一性を保つため、イチョウに変える予定との事だった。東京都の木はイチョウである。
はて、市川市の木は何だっけ? と考え込んでしまった。
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by midori-kai | 2015-12-09 08:57
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市川市の山林所有者が集まり、自然景観【里山緑地】を守る会です。地球温暖化や樹林地とのつながりを考えています。


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